「やらされる練習」でうまくならない理由とは —脳の仕組みを理解する—

スポーツドクターとして、これまで数多くの選手をサポートしてきた二重作拓也医師。いまだに根性論に基づく画一的な練習が、選手の身体を壊している現状があるという。人間の身体の基本的な構造を理解した上で、個々の選手の特性を生かした本番のための「練習」の在り方について語る。

インタビュイー

インタビュイー
二重作 拓也
挌闘技ドクター/スポーツドクター、リハビリテーション科医師、格闘技医学会代表、スポーツ安全指導推進機構代表

1973年生まれ、福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高校、高知医科大学医学部卒業。8歳より松濤館空手を始め、高校で実戦空手養秀会2段位を取得、USAオープントーナメント高校生代表となる。研修医時代に極真空手城南大会優勝、福島県大会優勝、全日本ウェイト制大会出場。リングドクター、チームドクターの経験とスポーツ医学の臨床経験から「格闘技医学」を提唱。専門誌『Fight&Life』では10年にわたり連載を担当、「強さの根拠」を共有する「ファイトロジーツアー」は世界各国で開催されている。『Dr.Fの挌闘技医学 第2版』『Dr.F 格闘技の運動学』(DVDシリーズ)『Fightology(英語版/スペイン語版)』『プリンスの言葉』『Words Of Prince(英語版)』など著作多数。格闘技医学会/スポーツ安全指導推進機構公式サイト Twitterアカウント:@takuyafutaesaku

個性を無視した画一的な練習のリスク

第三回目は、練習について考えてみたいと思います。当たり前のことですが、人間は一人ひとりみんな違います。顔が違うように、膝の形も、背中の筋肉も、構造としては共通ですが、臨床の経験上、まったく同じ膝、まったく同じ背中に出合ったことはありません。例えば「腕立て伏せ」をしたとき、肩に筋肉がつく人もいれば、腕が太くなる人もいます。

もちろん「どの部位を意識するか」によっても変わりますが、同じメニューでもどの筋肉に効いてくるかは、骨格の違い、関節の可動域の違い、筋肉の付着面積の違い、骨の並びの角度の違いなどが存在するからなんですね。さらに脳内での運動イメージも同じではありません。つまり「同じ運動メニュー」を行っても、結果として「違う運動」になってしまうわけです。

例えばジャンピングスクワットをやる場合、体重が65kgと100kgの人では運動の意味合いが違ってきます。65kgの人の膝関節より100kgの人の膝関節のほうが強度が上、ということはありません。どんなに鍛えても膝関節が頑丈になるわけではなく、むしろ負荷がかかるため、関節内の半月板や軟骨が摩耗しやすくなります。ですから同じメニューを強要すれば100kgの人は65kgの人よりも膝を傷めやすいことになります。

それならば65kgの人と一緒にジャンピングスクワットを100回跳ぶのではなく、ジャンピングスクワットの数を抑えて、違うメニューをやったほうが膝には優しい。それを「同じ回数を跳ばないのは、やる気がない」と言われてしまうのは短絡的です。

人間の身体は、たとえば膝の構造が同じであるように、また頸椎の数(7つ)が決まっているように、「種」として共通の部分があると同時に、「個」としての違いがあります。今、「私が見ている白」と「あなたが見ている白」について考えますと、「見るという行為」は共通ですし、眼球や視神経、視覚野といった部分を使って視覚情報を認識する部分も共通ですが、網膜に存在する視細胞の数や分布はまったく同じではないはずですから、同じ白でも同じようには見えていないのです。

このように私たちには「共通性と個別性」がある。スポーツ指導の際、まずはこの前提が十分に共有されるべきだと考えます。ここを意識せずに根性論で全員に画一的な練習をさせると、伸びる選手がいる一方で、身体を壊してしまう選手がいます。身体をすぐに壊すわけではなく、徐々に徐々にダメージが蓄積して壊していくわけですが、本人には判別が難しいのです。

楽しむためのスポーツならともかく、勝つための練習やトレーニングは決して楽ではないです。苦しい、つらい、きつい、そういったものを我慢して乗り越える必要もあるから、「痛い」であったり、違和感であったりがマスクされがちなのです。

本来、痛い感覚や何かおかしい感覚は、「その動きは修正したほうがいい」「その負荷は危険」のサインなのですが、それらを鋭敏にとらえることなく多くの選手たちがそれを我慢してしまう……。身体の声に耳を傾けることなく頑張ってしまって、スポーツ外来を受診することになるのです。いつのまにかライバルではなく、故障と闘い続けることになり、ドクターとして「もっと早く現場で気づいてくれたらよかったのに……」と思うこともしばしばです。

自分の身体特性に合わない練習はやればやるほど身体を壊していきます。練習の目的は「練習をやりきること」ではなく技術の向上です。練習のために身体を壊してしまっては元も子もありません。スポーツの現場では、人間の身体に共通な構造を理解した上で、弱い部分に負荷が集中しないように配慮しながら個の特性を生かす練習が求められています。

競技と身体特性には相性がある?

実は競技と身体特性には相性があります。相性というのは、その競技をある程度続けても壊れにくい身体であるということです。ちょっと夢のない話になるかもしれませんが、それぞれの競技には向いている体型やタイプがあるのです。

例えば、寸胴の体型で、手足がひょろ長い体型の人は、水泳の指導者が喜ぶ才能の持ち主です。水の抵抗が少なく、リーチがあるほうがスピードを競うには有利になります。機動力が主な武器になるサッカーやバスケットボールのトップ選手にはスリムな選手が多いですが、体重とパワーがものをいう相撲ではがっしりした体型の選手が有利です。体操やフィギュアスケートなどの自重を繊細かつダイナミックに動かす競技で上に行くには、実際には体脂肪率が低くないと難しいでしょう。

もちろん身体的に不利な条件を覆して上に行く選手もいますし、練習の過程で体型が変わっていく場合もあります。ですが、そのようなケースがあることと、競技によって身体特性に偏りがあることは、また別の話です。競技で上を本気で目指す場合、自分の身体特性を冷静に見極めて、自分を生かせる競技の選択が重要だと思います。

「脳の仕組み」を理解する

ボクシングの世界チャンピオンの中で、10回も防衛するような王者の中の王者は、シャドートレーニングを2時間以上、平気で続けることができます。ボクシングをやったことがある方はわかると思いますが、対戦相手もパートナーもいない状態で一人で黙々とシャドーを長く続けるのは簡単ではありません。

では、なぜ彼らはそんなに動けるのでしょうか?スタミナがあるのはもちろんですが、その秘密は脳にあります。脳の前頭前野と呼ばれる部分で、次から次へと運動イメージを想起し続けられるからです。たとえ相手が目の前にいなくても、相手がジャブを打ってくる、相手が前に出てくる、こちらのストレートを右に動いてよけた、5連打を打ってきた、ちょっと疲れた顔を見せた、こちらのパンチをよけた、といった感じで、映像としてリアルに状況をイメージし、そのイメージをもとに運動イメージを想起して、運動に関わる筋群に司令を出して運動を遂行していると考えられます。

外からは黙々とやっているように見えるだけで、選手本人の脳内ではまさに実戦さながらのタイトルマッチが行われているというわけです。シャドートレーニングですから、重りを持ったり、チューブを引っ張ったり、ミットをたたいたり、実際に打ち合ったりするわけではないので、身体にかかる負荷はコンタクト時に比べてかなり軽減できますし、怪我のリスクはほとんどゼロに近いわけですが、頭の中ではイメージに負荷がかかり、ピンチの状態から逆転する場面や、苦手な状況を克服するシミュレーションが試合までに何百回、何千回と行われることになります。まさに「練習は試合のように、試合は練習のように」の格言を具現化したものがシャドーなのです。

日本では「とにかく苦しい練習をやり切った、それを越えた先に勝利がある」という考えが好きな方が少なくありませんが、この考えですと「より苦しい練習を、よりハードな負荷を」求めることになり、心と身体がいずれバーストしてしまいます。

また「実戦形式・試合形式の練習」は、実戦や試合に近い分、練習した気になりがちで、本当に修正が必要な部分、動きとして守る部分が、流れの中で意識できづらくなるマイナスもあります。「課題に向かい続ける練習」かどうかの検証も必要でしょう。ここではボクシングの例を紹介しましたが、王者のシャドーのように「身体的には低負荷かつ安全、だが脳にとっては高負荷なトレーニング」が今後ますます必要となってくるはずです。

練習は「修正・改善」のために行うもの

運動学習には「修正」が重要です。サッカーのシュート練習を30回行うとして、「そのうち修正した回数は何回なのか?」ここが最大のポイントです。

初めて自転車に乗った時のことを想像してみてください。はじめは全身ガチガチで「余計なところに力が入っていた」はずです。脳と筋肉の関係でいえば「その運動をスムーズに遂行するのに不必要な筋群も収縮していた」ことになります。「運動学習」とは、小脳に送られた運動計画の情報と、実際に実施された運動の情報を比較して、誤差や失敗の修正を行うシステムだと考えられています。

自転車の運転も回数を重ねてくれば、運転にあまり関係ない筋群の収縮は抑制されます。「リラックスして運転できる」のは「本当に必要な筋群だけが必要なだけ収縮する」スキルを修得したからなのです。つまり、運動は「失敗しない」限り、うまくなっていかないのです。

失敗する→修正点を見つける→身体は動かさずに運動イメージを修正する→実際に身体を動かして確認する、このような過程を経て「失敗からの修正をいかに重ねるか」がポイントですから、「失敗するな」「ミスするな」という指導よりも、失敗したときに「どこをどう修正したらよくなるか」にフォーカスさせる指導のほうが脳機能の面からも適切だと思われます。

やらされる練習でうまくならない理由

「新しいことを覚えた」「できないことができるようになった」「難しいと思ったことを達成した」、このような場合、私たちの脳の中では報酬系といわれる神経回路が活発化し、中脳の神経細胞からドーパミンが放出されます。

ドーパミンが側坐核(そくざかく)と呼ばれる感情に関わるエリアに到達すると、側坐核の働きが高まり、多幸感や喜びを感じるのです。このドーパミンは、「自らそれをやることを選択したとき」に放出されやすいと言われています。つまり、「言われたから仕方なくやる練習」「やらされる練習」ではうまくならない理由は、ドーパミンの放出量と関係している可能性があるのです。

既に完成したプリントを渡されて、「書いてあることを覚えろ」と言われてもなかなか覚えられないですし、がんばって覚えたとしてもすぐに忘れてしまいますよね。ところが自分で選びとったこと、興味があることは、「責任があるから」「好きだから」という理由はもちろん、脳内でも「ドーパミンが放出されやすい」から喜びも感じるし、記憶にも定着しやすいのです。誰かに認めてもらったことをずっと覚えているように。スポーツにおける練習も、なるべく自発的な行動・選択・決定でドーパミンを放出し、側坐核を活性化するのがポイントです。

例えば「素振りを50本やれ」と言われてやる練習ではなく「気がついたら夢中になってしまって75本やっていた」という練習になるとよいですね。「50本やれ」と言われると、選手は「50本振る」を目標にしてしまいます。技術の修得でもなく、修正の積み上げでもなく、運動イメージのレベルアップでもなく、「言われた数字をクリアしよう」としてしまいます。数をこなそうとして上達する機会を失ってしまうんですね。

でも気づいたら75本やっていた選手は、きっとさまざまなイメージを試している。ボクシング王者のシャドートレーニングのように、いろんなシチュエーションを試してみたり、憧れの選手の真似をしてみたり、苦手なコースに向き合っていたり、1回ごとに精度が上がっていくのを確認したり……。同じ練習でも選手が能動的にそれに向かうかどうかで、結果に大きな差が生まれてくるんです。

「もしダルビッシュ投手が内角を攻めてきたら、どうやって打ち返す?」そんなイメージの中で試行錯誤するほうがきっと楽しいですよね。もしある程度の数をみんなで練習するならば、「今から素振りをやります、1回目と最後の回で確実にレベルアップしてほしいから、何本やればいいかは自分で決めてください。」このように数字を自分で決めるだけでもそこに能動性が加わります。さらに終わった後に、何がどう変化したか? 何か気づきがあったか? チーム内で共有してみるのも面白いかもしれません。

「なぜその練習をするのか」を考え抜く

プロ野球における通算安打世界記録保持者であるイチロー選手が現役のとき、「頭に浮かべたイメージをいかに身体で具現化するか」という内容のコメントをされていました。その邪魔になるようなことはしない。日常生活でも怪我をしないような身体の使い方に配慮されていたそうです。

ウエイトトレーニングについても、「自分が持っているバランスがありますから、それを崩しちゃダメですよ。筋肉は大きくなるけど、それを支えている関節とか腱は鍛えられない。だから壊れちゃうんです」と発言されていました。もちろんメジャーに行く前はウエイトトレーニングを行い、そのプラスとマイナスも経験されてのことです。その上で、シーズンでの調子や身体感覚、成績などを十分観察する中で、「何を優先すべきか」をご自身の中で考え抜かれたのだと思われます。

どんな練習方法にも、一長一短はありますし、ある時期に必要な練習が、ベテランになってからも必要だとは限りません。また逆に経験を重ねたときにこそ必要な練習もあるでしょう。「これさえ飲めば健康になる」という薬がありえないように、これさえやればいいという練習やトレーニングは存在しません。

ですから指導者は極力主観を排し、「この選手には何が必要か?」「それは今、この時期に必要か?」「将来的なゴールにリンクするか?」「今、何を遠ざけねばならないか?」「どんな練習を、どの程度、どのようにやるべきか?」「この練習でのリスクは何か?」「何をもって練習の成果とするか?」など、あらゆる角度からの「問い」に対する最適解を選手と共にじっくりと探す必要があります。

「今はやっているトレーニングだから」「有名選手がやっている練習だからやろう」「ライバル校がやっているからやろう」「うちの部の伝統の練習法だから」「師範からこれだけはやって当たり前と言われている」といった「雰囲気でやらせる練習」はある種の思考停止であり、方法論優先となってしまっています。そのしわ寄せは選手の身体的ダメージ、心理的ストレスとなって表れるでしょう。

同じ薬でもある人には有益に、別の人には害になるように、どんなに優れた練習やトレーニングも、それらを人に適用した時に「強くなるケース」と「弱くなるケース」が生じます。選手は「なぜこの練習をするのか」、指導者は「なぜこの練習を提案するのか」、理由を可能な限り明確にしながらレベルアップを図ってほしいと思います。

インターネットやSNSが発達し、世界中の一流選手の練習方法やトレーニング情報が無料で簡単に手に入る時代だからこそ、選手たちの本気の疑問に対し「とにかくやれ」「やってから意見を言え」と威圧するのではなく、選手と疑問を共有し、真剣に思考し、一緒にハードルを越えていく。そんな指導者が求められる時代ではないでしょうか?

取材・文/はたけあゆみ