「怪我のデータベース化」が指導のあり方を変え、スポーツ選手の長期育成につながる。〈後編〉

医師として病院に勤めるだけでなく、プロサッカーチームのスポーツドクターとしてスポーツ選手たちのケアも行っている齋田良知氏。イタリアの名門サッカークラブ「ACミラン」への留学経験も持つ齋田氏から見た、日本のスポーツ選手育成の課題点について、話を伺った。 前編では、日本のスポーツ指導の現場が抱える課題を中心に伺った。

インタビュイー

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齋田 良知
順天堂大学 整形外科・スポーツ診療科 准教授、同大学 スポーツ医学・再生医療講座 特任教授、いわきFC チームドクター、一般社団法人 日本スポーツ外傷・障害予防協会 代表理事

1975年生まれ、福島県出身。2001年、順天堂大学医学部医学科卒業後、順天堂大学整形外科・スポーツ診療科入局。2002年より、ジェフユナイテッド市原・千葉のチームドクターに就任。その後、U-18男子サッカー日本代表帯同ドクター、U-20サッカー女子日本代表帯同ドクター、なでしこジャパン帯同ドクターなどを務める。2015年末から約1年間、イタリア・セリエA「ACミラン」に医師として留学。2017年よりいわきFCチームドクターに就任し、2019年より順天堂大学整形外科・スポーツ診療科准教授、いわきFCクリニックの院長を務める。

〈前編〉から読む

日本の教育現場では「カリキュラムをこなす」ことが重視される

そもそも学校教育のあり方自体も、日本と欧米とでは違いますよね。

そうですね。日本は「教える」に特化していて、カリキュラムをこなすことが重視される特徴があります。たとえ生徒が教わったことができるようにならなくても、次の段階へと進むのです。

一方、欧米では生徒ができるようになって初めて次の段階に進みます。達成できなければ達成できるようになるまで根気よく続けるのです。達成できなければいつまでも同じことをやり続けるのです。中学校であっても留年が存在し、試験に受からなければ進学ができません。反対に自分のレベルに合わせて上の学年の授業を受けることもできます。

「教えたかどうか」ではなく「できるようになったかどうか」を重視することは学校教育だけでなく、スポーツ指導においても重要です。ただ漫然と、走り込ませたからといって狙い通りに走れるようにはなりません。走れるようになるためには意味のある練習をしなければならないのです。

指導者だけでなく、保護者にも結果より「過程」を見てほしい

たくさんの課題があることは分かりましたが、それらを解決するため指導者や保護者が心掛けるべきことは何でしょうか。

順天堂大齋田医師

その子自身の成長を見ることだと思います。試合の勝ち負けではなく、できなかったことができるようになったのかを見てほしいのです。たとえ負けてしまっても、狙い通りの動きができていればOKですし、逆に勝ったとしても、練習でできたことが、本番でできていなければ、それをしっかり振り返らなければなりません。

練習でやったことが本番でもできたという成功体験を重ねてもらうことで、子どもたちはもっと競技を楽しめるようになるのだと思います。まずは指導者が、子どもたちそれぞれがこれまでできなかったことができるようになっているのかをしっかり見てほしいですね。

それができれば保護者が指導者を見る目は変わると思います。「うちの子はこんなことできなかったのに、できるようにしてもらってありがとうございます」と。

イタリアに住んでいたとき、私の娘は地元のサッカーチームに所属していたのですが、彼女らの保護者たちの子どもに対する見方は日本とは全然違いました。試合後、勝ち負けに関係なく、どちらのチームの保護者も子どもたちを笑顔と拍手で出迎え「今日は良い試合だった」「楽しかった」と良い雰囲気を作っていました。誰も日本のように勝ち負けにこだわってはいませんでしたね。

育成年代こそ、データの活用で怪我を防ぐ対策を

怪我を防ぐためにはどんな対策が有効なのでしょうか?

スポーツ選手たちのあらゆるデータを記録し、そのデータを活用することが有効です。海外では育成年代のデータを残し次世代に活用することは当たり前とされていますが、日本では浸透していません。しかし、私は育成年代こそデータを見ながら指導すべきだと思います。

例えば、選手それぞれの練習や試合での走行距離やスピードを計測しておけば、彼らが試合でいつもより走れているのか、そうでないのかが一目瞭然で分かります。しかし、データ無しに試合で走り負けていたという指導者の印象によって、「走り込みが足りないんだ!」と短絡的に考えてしまい、無理に走らせる練習をすると逆に怪我をしてしまいます。

試合で必要とされる場面で走れない原因は普段から試合と同じような距離やスピードを走っていないからであることが多いです。スポーツ選手たちそれぞれの身体能力や役割に合わせて普段から少しずつ走ることが大切です。また、例えばサッカーでは「今日は走れていたな、でも負けた」というときには、「走れて」いたわけではなく、相手に「走らされていた」結果であることもあり、データを鵜呑みにしてもいけない側面もあることには注意が必要です。

データを活用したトレーニングは海外では当たり前で、例えばカタールのアスパイア・アカデミーでは、小学生ぐらいからスポーツ選手を集め、基礎的なことを教えた後、どの競技が向いているのかをレコメンデーションします。いろいろなスポーツを体験させた上で能力を計測し、伸びしろを見てそれぞれに合った競技をおすすめするのです。 

「怪我のデータベース化」で予防のレベルを上げられる

齋田先生はスポーツ選手たちの怪我を記録し、データベースをつくることも推奨されています。その理由を教えてください。 

どんな場合に怪我が多いのかを分析することができれば、状況を改善し予防につなげられるからです。「選手ファースト」に考えております。

プロの世界ではよく監督が成績不振を理由に交代します。その際、怪我人が多くてベストメンバーが組めなかったことを原因に挙げる人がいます。選手たちが早く戻って来られないのはメディカルが悪いと、ドクターやトレーナーを代えることもあります。しかし、怪我をさせているのは指導者たちで、本当に見直すべきなのは怪我をさせてしまった指導方針や練習メニューである場合もあります。

選手を怪我から守ために必要なのは、スポーツ選手それぞれの怪我を詳細に記録したデータベースを作ることです。それがあれば、そもそも本当に自分たちのクラブは怪我人が多いのか、一人ひとりのリハビリテーション期間は長いのか短いのか、再発率はどれぐらいなのか、などが分かるようになります。

順天堂大齋田医師

集めたデータは怪我予防にも使えます。例えば日本人サッカー選手はJones骨折(第五中足骨疲労骨折)や前十字靭帯損傷をきたすことが多いといわれており、各チームで予防のためにいろいろな予防法やトレーニング法を取り入れています。しかし、国際的な基準と同じ方法で、選手の練習や試合出場時間も考慮して継続的に怪我の発生状況の記録を蓄積してこなかったため、取り入れた予防策により怪我が本当に減っているのかどうかが分からなかったのです。

仮に自分のチームで怪我をする人が少し減ったとします。しかし、ほかのチームがどうなのか、ほかの競技や国ではどうなのかなど比べる対象がありません。怪我をしている人の母数もわからないのに予防のための効果検証はできません。

怪我予防をする場合、まず自チームのスポーツ選手たちの怪我の発生率を把握する必要があります。次に、相手との接触時に多いのかなど、怪我をする瞬間のシチュエーションを見る必要があります。仮に、ほかのプレーヤーとの接触ではなく着地の瞬間に怪我をしていることが多いのだと分かれば、着地動作改善のための練習をすることができます。故障が多いパターンを割り出し、改善できればどんどん怪我予防を進めることができるのです。 

そのほかにも、「怪我の数は多かったけれど、一人ひとりの故障期間は短い」、あるいは「怪我は少ないけれど、復帰に時間がかかる、または再発している」などということも分かってきます。うちのチームは怪我人が多いと思ったけれど、実はほかのチームよりも実戦に戻るまでが早かった、などがデータとして分かると、それを予防につなげることが出来るので良いですよね。

また、怪我の種類もさまざまです。どの怪我がどれぐらいの発生率なのかを把握した上で、それぞれの怪我でスポーツ選手たちはどれぐらい休まなければならないのかを考えると、どの怪我予防を優先すべきか、おのずと答えは出てきます。

例えば、肉離れをすると、ある程度の長期間休まなくてはいけないことが分かれば、発生率が少なくても注意が必要です。肉離れ予防のためのメニューを取り入れるなど、対処できます。

怪我のデータベースをつくることで、怪我の発生状況などの問題点を把握することができ、怪我を防ぐための練習メニューが組み立てられるようになります。それがスポーツ選手を守り、彼ら彼女らの将来につながっていくと思いながら、私はデータベースづくりを推奨し続けてきました。

Jリーグでもついにサッカーにおける怪我や病気に関する疫学調査(JFA-Survey)がスタートしました。これにより怪我の予防に関する情報は飛躍的に増加するものと確信しております。これからは、得られたデータをどう解釈し怪我の予防に結び付けていくのか、セカンドステージに進む準備が整ってきたと感じています。

〈前編〉を読む

聞き手/今井 慧  文/種石 光(ドットライフ) 写真/小野瀬健二