補償より「そこで何が起こったのか」事実の解明を求める
スポーツには、事故や怪我のリスクがあるということ
学校部活動やスポーツに関する係争は、事故や怪我だけでなくセクハラやパワハラなどのハラスメントまで多岐にわたる。スポーツ法務を専門とする堀口氏によると、10年前に比べると近年、権利意識の高まりによって、学校で起きるスポーツ事故でも弁護士が相談を受けるケースが増えてきたという。
「以前は学校の中で起こったことは学校の中だけで解決される傾向にありましたが、弁護士に相談できる、頼んでいいという認識が広まってきたと思います」
前提として、スポーツは事故や怪我が起こるリスクがゼロではない。そのため、予防のための備えや事後の対策が重要になってくる。
「保護者の方なら経験があると思いますが、サッカーをやっていて転ぶ、接触して転ぶ、ボールが当たる、これらは珍しいことではありませんよね。擦り傷や切り傷、打撲などの軽い怪我なら、治ればよしとするケースがほとんどです。骨折の場合でも、学校やクラブが入っている保険でカバーされるので、責任を追及する係争に至ることはあまりありません。保護者や本人には『事を荒立てて指導者や先生との関係を悪化させたくない』という心理が働くためです」
では、どういったケースが係争にまで発展するのだろうか。
「死亡や半身不随、四肢に重い後遺症が残るなどといった重大な事故の場合に、責任の所在を明らかにしたいと弁護士が介入することが多いです。傷害の程度が重くとも、学校やクラブの対応が適切であったり、学校やクラブと保護者との信頼関係がある場合、訴訟にまで至らないケースもありますが、事実を解明していく中で、学校やクラブの対応が納得できない、情報が隠蔽される、信頼関係がつくれなかった、そんなときに弁護士に相談される方が多いですね。補償を求める事案よりも、『そこで一体何が起こったのか』、『誰にその責任があるのか』、『なぜ防ぐことができなかったのか』、事実関係の解明を求める相談が多いです。
また、当事者同士で話し合うとどうしても感情的になりますから、間に入ることで冷静に事実確認ができるというメリットもあり、学校側から保護者に対し弁護士を立ててほしいと依頼されるケースもあるようです」
スポーツ事故の係争例に見る「安全配慮義務」が尽くされたかどうかの判断
近年発生したスポーツ事故の係争例を見てみよう。
2018年に、ある私立高校のチアリーディング部の女子部員が練習中に大怪我を負い下半身不随の後遺症が残るという事故が発生した。学校側の安全対策が不十分だったとし、元女子部員が学校法人に約1億8000万円の損害賠償を求めたことがニュースでも報じられた。
「このケースでは、被告である私立高校を運営する学校法人(公立校の場合は学校を設置している地方自治体)が支払い義務を有します。損害賠償金は学校が加入している保険(災害共済給付制度、スポーツ保険など)である程度賄われるため、被害者に支払われないということはあまりありません。金銭的な補償は問題なく受けられるにもかかわらずなぜ訴えを起こすかというと、『なぜこの事故は防げなかったのか』を明らかにしたいからなんです」
別のケースを見てみよう。2009年のある県立高校の剣道部の事例。厳しい練習中に男子部員の「もう無理です」という訴えが受け入れられず、(体調不良による行動は)「演技だろう」などと言われて練習を続けた結果、熱中症で死亡に至ったという痛ましい事故があった。
「この事案の争点は、『安全配慮義務が尽くされていたかどうか』でした。道場の状況はどうだったか、熱中症は回避できたのか、本人が倒れたときに指導者はどういう対処をしたかを、裁判所でも細かく確認されました。顧問の先生(指導者)は道場に扇風機や飲み物を用意していましたが、水分補給が適切なタイミングでされていなかったこと、本人の訴えを無視して練習を続けさせたことなどから、安全配慮義務を怠ったという結論になりました。
熱中症の死亡事故はほかにも、ある高校の相撲部でも起きました。水はいつでも飲むことができ、窓を開けて風も吹いている環境であったことや、当日の稽古の状況などを詳細に認定し、先の県立高校剣道部のケースとは異なり、こちらは安全配慮義務を尽くしていたと認められ、顧問の先生の責任は否定されています」
同じ熱中症での死亡事故でも、裁判所の判断は異なり、裁判所では、当時の状況やできるはずの対処を行っていたかどうかを細かく聴取し判断された。
今一度見直したい、適切な練習法・事故防止ガイドライン
日頃からの安全管理が指導者と保護者の信頼関係をつくる
いくつかの事案についてここまで見てきたが、事故をゼロにすることが難しいスポーツの現場で、万が一事故が起こっても信頼関係を維持し、意図しない争いを防ぐために指導者としてできることは何だろうか。訴訟に発展した場合に問われることになる「指導者の安全配慮義務が果たされていたのかどうか」。事故防止という観点からも、今一度各種団体が発行する練習マニュアル、安全のためのガイドラインを確認し備えておくのが肝要だ。
まずは、日本スポーツ協会と競技団体が連携し作成している指導手引きがある。スポーツ庁が2018年3月に発表した「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」に則り、適切で効率の良い練習・指導方法がまとめられている(名称に「中学校部活動」とあるが高等学校も原則適用と書かれている)。休養日設定や安全への配慮に関する項目もある。その一部を以下、ご紹介する。
スポーツ庁「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」
- 【日本サッカー協会】中学校部活動サッカー指導の手引き
- 【日本バスケットボール協会】中学校部活動におけるバスケットボール指導の手引き
- 【日本バレーボール協会】中学校部活動におけるバレーボール指導者へのガイドライン
- 【日本ソフトテニス連盟】ソフトテニス部活動指導の手引き
- 【日本ソフトボール協会】中学校部活動におけるソフトボール指導の手引き
- 【全日本軟式野球連盟】中学校部活動軟式野球指導の手引き
- 【日本陸上競技連盟】中学校部活動における陸上競技指導の手引き
- 【全日本柔道連盟】柔道の安全指導資料一覧
- 【全日本剣道連盟】中学校部活動における剣道指導の手引き
- 【日本相撲連盟】中学校部活動相撲指導の手引き
また、日本スポーツ振興センター(JSC)のホームページ「学校安全Web」では、スポーツ事故防止ハンドブック、スポーツ事故対応ハンドブックがそれぞれ公開されており、部活動などスポーツ指導現場で配慮すべき安全上の対策内容が充実している。JSCは学校管理下で発生する災害へ災害共済給付を行う独立行政法人であり、「学校事故事例検索データベース」ではこれまで給付を行ってきた総数7,949件(平成17年度~令和元年度)の案件から死亡・障害事例が検索できる。競技種目などでの絞り込み検索も可能なので、自身が関係する競技で起こりうる事故をあらかじめ理解し対策しておくのに役立ちそうだ。
スポーツ事故が発生したら。保護者の対応は?
納得できる話し合いができない場合は、相談窓口や弁護士を活用
では、わが子が部活動中に事故に遭い、保護者として事実の解明を求めたい場合はどうすればいいだろうか。
「まずは顧問の先生、学校に相談です。その対応に不信感を抱いたり、責任の所在がはっきりされない、損害賠償を請求したい、などの場合は弁護士に相談するとよいでしょう。前述のように、近年は一般の人でも気軽に弁護士に依頼することができるようになりました。もし弁護士に相談したいけれどどこにいけばいいかわからないというときは、地域の弁護士会の相談センターを訪ねてもいいですし、ネットでスポーツ法に詳しい弁護士を探してコンタクトをとってもよいと思います。
文部科学省が全国に配置する方針を掲げた、『スクールロイヤー』と呼ばれる弁護士を置いている学校も増えてきました。スクールロイヤーは校内で起きた問題について、法律の視点から助言する役割を持っています。学校の部活で発生したスポーツ事故なら、スクールロイヤーに相談してもいいでしょう」
勝利至上主義がスポーツ事故のリスクを上げる
指導者も保護者も、子どもの様子に敏感になろう
突然の事故を予測し未然に防ぐことは難しいが、怪我につながるような不調や疲労の状態に気づくためには、日頃から子どもたちを注意深く観察することが大切だという堀口氏。
「子どもは自分で自分のことをまだ正確に説明できません。本人がいくら『大丈夫』と言っても、実際大丈夫ではないことがあるんですね。指導者ならまず、練習中の選手の様子を観察してほしいです。本人が『まだやれます』と言っても、本当に問題ないのか、厳しくチェックする必要があります。
保護者の皆さんには、子どもの“いつもと違う”違和感を敏感に察知していただきたいです。食事を残す、口数が少ない、足を引きずっているといったときは、身体に異変があるのかもしれません。そういうときは練習を休ませ、『1日くらい休んでも問題ない』と本人を安心させる言葉をかけたりするとよいのではないでしょうか」
それでも事故が起こってしまった場合の備えとして、平時から緊急時の対応方法を確認し理解しておくこと。AEDの設置場所を把握し、エマージェンシーアクションプラン(緊急時対応計画)を作成しておくとよいだろう。(作成例は、「スポーツ事故防止ハンドブック」内にもあり)
そして、不幸なスポーツ事故が誘発される背景には、勝利至上主義と熱くなりすぎる指導者や保護者の存在があるとも指摘する。
「子どものためによかれと思って、強くなってほしい、勝たせたい、成功体験を味わわせたいという気持ちが行き過ぎて、事故リスクが上がることが多いと考えています。大きな怪我をした後に『子どももやりたいと言っていたのだから問題はなかった』と言っても、取り返しはつきませんし、法廷では通用しません。
子どもを取り巻く不幸なスポーツ事故や係争を防ぐためには、『この子にとっての“スポーツの価値”とは何なのか』を改めて問うことが必要です。勝つことだけを目指すのではなく、子どもの長い人生の中でスポーツとは何なのか。その価値をとらえ直すことが、これからの指導者や保護者に求められているといえるでしょう」
取材・文/はたけあゆみ 撮影/保田敬介