34歳で筑波大学・大学院へ進学。工学と出合い、文化の違いを知る
馬見塚先生は、筑波大学で整形外科に勤務し、現在は「医師・野球医学専門家」として活動されていますが、医師を目指した当初からスポーツドクターを志していたのですか?
医師を目指した当初は、野球の日本代表、今でいう「侍ジャパン」のチームドクターになりたかったのですが、医師になった後、一般整形外科医としての魅力を知り、一旦スポーツドクターを目指すのをやめることにしました。
そう思うようになったきっかけは医師になって4~5年目の時、当時日立製作所水戸総合病院(現・ひたちなか総合病院)で、整形外科医をされていた中島宏先生と出会ったことでした。
中島先生とは「上司と部下」の関係でしたが、私とも常に同じ目線で接しておられる、新しい時代のリーダーでした。また、外来では患者さんの話をよく聞き、丁寧に手術や治療を行って、今まで歩けなかった患者さんがスタスタ歩いて帰る姿を見て、中島先生のように「スポーツドクターよりも一般の方々を診療する整形外科医の方が多くの人を助けられるのではないか」と感じたのです。
脊椎疾患を主に診る整形外科医として働いているうちに、「研究の能力が足りない」と痛感し、34歳で筑波大学の大学院に入りました。大学院では、携帯電話にも使われている「慣性センサー」を用いて、腱反射の診察を定量化するシステムを開発するという研究に携わっていました。
工学や野球の現場に飛び込んだ経験から、包括的なシステムの必要性を感じ「ベースボール&スポーツクリニック」を開業
2007年からは「つくば野球研究会」の一員として、野球に深く関わっていらっしゃいますが、研究会ではどのようなことをされていたのでしょうか?
つくば野球研究会は、筑波大学の前整形外科医・落合直之教授が子どもたちの肘の手術をするときに、怪我の状態が非常に悪くなってから手術する例が多いことから「野球界、こんなんじゃだめだろ!」と思い立ち、作られた研究会です。
大学まで野球をやっていたのもあって、私が研究会のマネジメントを担当していたのですが、その時に野球の現場を知る筑波大学硬式野球部のスタッフにも入っていただきました。
整形外科・野球の現場・コーチング学・スポーツ科学、それぞれの出身者が一堂に集まって議論し、学ぶ会を10年ほどマネジメントしてきましたが、この活動を通じて実は分かっているようで分かってないことがたくさんあることを知りました。特に野球の現場に改めて出てみて、私は野球というものをまったく分かっていなかったんだなと気づきました。
そこからどのようにしてスポーツ選手を対象とした専門クリニック「ベースボール&スポーツクリニック」を開業するに至ったのでしょうか?
これまで、スポーツ整形から一般整形へ、一般整形から工学の世界へ、工学の世界から野球の現場へ、そしてコーチング学・スポーツ科学などさまざまな分野へと飛び込んできました。それは、整形外科と異分野の違い、方向性や理論のすれ違いや調整の連続でもありました。
そして、最後に慶應システムデザインマネジメント(慶應SDM)で「システムデザインマネジメント」という学問に出合って「あ、これまで困っていた複数の分野で新しい解決法を探る方法があるんだ!」とすごく嬉しく思いました。
システムデザインマネジメントでは、別々の要素の関係性(システム)を理解し、それらを組み合わせて上手く機能するための仕組みをデザインする。そして実行する際のマネジメント方法を考える。このシステムデザインマネジメントという考え方が非常に重要だと感じました。
この考え方を基に、クリニックから現場に故障した選手をなるべく良い状態で戻そうと思うと、現場のこと、コーチング学、スポーツ心理学含めてひとつの包括的なシステムとしてサービスを提供できるクリニックが必要なのではないかという思いに至り「ベースボール&スポーツクリニック」を開業しました。
「勝つためには怪我をするのはしょうがない」時代からスポーツ科学を活用し「長期選手育成」を目指す時代へ
医療と現場の両方を知っている馬見塚先生から見て、現状の問題・課題はどのようなものでしょうか?
最近は、保護者の方の課題意識が非常に高いですね。
怪我をして治療に来られるわけですが、その怪我はコーチング的な問題や生体医工学の知識がないことから問題が起きたという話をすると「なるほど、そうなんですか」と学習しようとしてくれます。私の著書などを用いて勉強される方も増え、保護者の方のリテラシーが高まっていることを感じます。
対して、現場のコーチは、それに応えられるような情報を持ち合わせていないことも多い。そのため保護者の方が指導者批判みたいなことをやってしまう。そんなことを、診療を続けている中で感じています。
現場にいる指導者の意識と保護者の意識に差があると。
「勝つためには怪我をするのはしょうがない」。かつての時代はそうでした。
しかし、医学もスポーツ科学も発展しています。例えばカナダやオーストラリアでは、「障害なき選手育成」を目指した長期的な選手育成プログラムを取り入れています。
サイエンスやメディカルの発展により、今までは研究で終わっていたものが、選手の育成にも貢献できる時代になってきました。
これはテクノロジーの進歩、新しいソフトウエアの開発、SNSなど個人が情報発信できる手法が発展したこと、そういったもので十分可能になってきたと思います。
取材・文/今井 慧 撮影/齋藤暁経