日本スポーツ界に求められる環境づくりとは〈後編〉

日本のスポーツ界は、精神論で語られることが多かった。行き過ぎた精神論による過剰なトレーニングは、怪我の重症化だけでなく、ユース世代の燃え尽き症候群も招くとも言われる。指導者が適切な情報をしっかりと得ることができれば、防げたかもしれない––。今回はスポーツセーフティージャパン代表理事の佐保豊氏に、これまでの経験を踏まえて日本スポーツ界の課題とこれから求められることを伺い、前編と後編にわたってご紹介する。

インタビュイー

インタビュイー
佐保 豊
NPO法人スポーツセーフティージャパン 代表理事

高校卒業後に単身アメリカへ渡りNATA-ATCを取得。サッカーアメリカ代表、北米アイスホッケーリーグ(NHL)にインターンのトレーナーとして帯同した後、アイスホッケー日本代表トレーナーとして長野オリンピックを経験、その後、南米チリのプロサッカークラブでの活動を経て、Jリーグの名古屋グランパスのトレーナーを経験後、NPO法人スポーツセーフティージャパンを立ち上げる。 【資格】 NATA公認アスレティックトレーナー(ATC) NSCA認定ストレングス&コンディショニングスペシャリスト(CSCS) 【略歴】 JOC(日本オリンピック委員会)医科学強化スタッフ 日本アイスホッケー連盟理事 NPO法人スポーツセーフティージャパン代表理事 アイスホッケー男子日本代表チーム ヘッドアスレティックトレーナー フットサル日本代表チーム Jリーグ名古屋グランパス ほか

〈前編〉から読む

選手がプレーに没頭できるようにサポートすることが一番大切

トレーナーとして現場で心掛けてきたことを教えてください。

選手が一番競技に集中できて、余計なことを気にせずプレーできる環境を作ることが大切です。ストレスのない環境をどうやって作るかというのは常に心掛けています。

アスレティックトレーナーとしてフットサルのW杯も経験し、Jリーグでも働きましたが、フットサルやサッカーはほかのスポーツと比べて、環境が良いです。だからスタッフも多いんです。サッカー協会に行けば広報もマネージャーもいます、スタッフがいっぱいいる中で、自分の仕事に集中できるという環境です。余計なことを気にする必要がなかったのですが、アイスホッケーは、長野オリンピック以降はもう予算が大幅に減り、一人で何役もしないと回りませんでした。

スポーツの価値が上がれば、もっとお金が投入されてスタッフを入れられますよね。

そうなんです。僕らトレーナーの立場から言うと、本当にマンパワーが足りないです。環境的にもトレーナーが働く部屋もなくてグラウンドでトレーナーの仕事をしなくちゃいけないとか、クラブハウスすらないなんてことはたくさんあります。

Jリーグのクラブはいいですけど、社会人のクラブだとまだまだ設備が不足していますよね。南米のチリですら、すごい田舎のボロボロのグラウンドに行っても、必ず小屋みたいなクラブハウスがあって、みんなその中で着替えて、しっかりミーティングして出てきます。まずは最低限の環境を整えて、人を置いていくということをやっていかないといけないと思います。

技術的なことよりも、そもそも設備ですね。

そうなんです。技術的には優れていますよ。例えば治療の技術だったり、トレーナーとしての技術は、日本のほうが長けてるところはいくつもあると思うんです。でもハードも含めた環境全体をちゃんと整えることはできていないと思います。

良い技術を持ったトレーナーがいるなら、その人たちが最大のパフォーマンスができるように設備的な環境をしっかり整えることが大事なんです。アメリカは総合的に環境を整えるのが上手いです。

海外と比べると分かりやすいですね。

例えば日本だと、怪我を治す技術はあるんですが、その前後にはもっとやらなくてはいけないことがあるんです。怪我が起こった後のケアはできたとしても、起こさないための事前の仕組みがなければ意味がありません。質の高い食事、正しいウォームアップとクールダウン、そういうのを含めて総合的に見るのが我々の仕事なんです。

アメリカは一人一人の能力はそんなに高くなかったとしても、仕組みで上手く回るんです。全体のコンセプトをしっかりして、こうやって運用しようと全体が連動するような仕組みをちゃんと作ります。それぞれの仕事のディスクリプション(職務内容、役割分担)というのをしっかり持ってますよね。

スポーツセーフティージャパン代表理事佐保豊氏

構造的に環境を変えていくこと、体系的に学べる仕組みづくりを

日本は構造的に変えていかないといけないということですね。あとは体系的に学べる場所もないような気がします。

少ないです。当時、日本スポーツ協会というところが唯一アスレティックトレーナーのライセンスプログラムを提供していましたが、最近では競技団体主導の安全プログラムなども始まってきています。しかし、スポーツ現場の体制づくりや安全に関しては、トレーナーだけでなく指導者や運営側でもしっかり学べるようにならなくてはいけないと思っています。体系的に学べるプログラムが競技のトップレベルだけではなく、草の根レベルまで広がってもらいたいです。

一昔前の日本は、技術に特化していればトレーナーとして扱われていました。プロの世界でも「僕は怪我を治すために来ているから、選手の安全とかは僕らの役目ではないよね」って言われている時代もありました。

まずは啓発活動からやっていかないといけないということですね。

そうですね。メディカルスタッフだけでなく、何かしらの役割でスポーツ現場やチームに関わる以上は、そこで起きた事故に対してアクションを起こす責任が皆さんにあるんですよという話はします。別にプロじゃなくても、これだけのことをちゃんとやらなきゃいけないんですと、全体像を見せていく必要があると思っています。

育成年代はトーナメント制よりリーグ制が適している

育成年代に関しても、変えていかなければならないことが多いですよね。

いろんな面であると思います。南米やアメリカをはじめ世界中のスポーツ現場を見てきましたが、日本はスポーツをする環境が安全とはいえません。トーナメント文化もその原因の一つだと思っています。怪我をしていても試合に出ないといけないことがありますが、リーグ戦にすることで、怪我をしていれば、その次の試合まで無理をせずに休めます。年間何十試合の中でケガを予防したり、危ない事故を減らすということが、リーグ戦になるとできると思うんです。最近ようやくリーグ戦が増えてきましたけれども、まだまだ日本はトーナメントが主流です。

おっしゃる通り、育成年代の大会はトーナメントが本当に多いです。

若い年代は、全国大会みたいなものはこんなにたくさん要らないと思います。指導者の方たちが自分の受け持つ年代の国内の大会を世界で一番大事な大会として位置付けてしまうんですよ。世界選手権のU-18の大会が、高校選手権と被ったとき、日本では、高校選手権を選んでしまう指導者も少なくないんです。

目標が高校選手権と、プロでプレーすることの差というか、日本はどこに向かってやっているかというのがすごくブレてしまう。プロを目指す選手とそうでない選手が一緒にプレーしなければならないという、難しい環境が日本の部活動にはあるとは思いますが、育成年代は目の前の試合に勝ち続けることよりも重要なことがあると思います。

肘がボロボロになっても注射を打ちながら投げたり、サッカーでもテーピングぐるぐる巻きにして、選手生命というリスクを負って試合に出てしまう。結局はその人の競技人生にすごくマイナスになることが多い。競技の中でも言われてますが、安全面で見ても、このトーナメント文化中心とういうのは、選手にとってマイナスな面が潜んでいると思います。

リーグ文化で、年間を通じて自分の心と体をコントロールしていくことが重要なんです。毎週末の試合に対して、自分はどれだけケアをしていいコンディションで試合に出られるかで評価された方がいい。年間何十試合もある中で、試合に出続けるためにはどうするかと考えたときに、選手自身もセルフケアできるようになっていかなければいけない。僕らは、特にユースの子たちには手厚い治療をする前に、まず怪我をしないための教育をすることができるんです。

それはONE TAP SPORTSで記録・定量化して、管理できるようにするという思想と同じですね。

その通りです。それを把握するのも人数が多いとすべて見きれませんから、例えば選手が移籍してきたとき、あるいは下のカテゴリーから上がってきたときに、プレー以外にも、怪我の履歴といったそういう情報も見る必要があるんです。日本はそれをやっていかないといけない。管理する側としては、データが残っているというのはすごく大事なんです。

スポーツセーフティージャパン代表理事佐保豊氏

アイデアを出して考えれば、もっとスポーツにお金を集める工夫もできる

これまで数多くの啓発活動をされていますが、変わってきたこと、全然変わらないことはありますか?

おかげさまで安全に関しては、2019年に自国開催でラグビーW杯があって、東京オリンピックが近いこともあって、ようやく国際基準に合わせようという動きが出てきました。特に安全に関しては海外の方が厳しいので、僕らのスポーツセーフティーという言葉も、少しずつ認知されてきていることを感じています。

少年団を回って講演したり、地方の自治体や体育協会に呼ばれて講演してきましたが、今はプロ野球チームから呼ばれたり、大きなスポーツの団体から呼ばれて講演する機会も増えてきました。

変わってないところというか、むしろ悪化しているのはスポーツに投資するお金だと思います。実業団スポーツというのがもう成り立たなくなってきています。昔はたくさん予算があって、お金を自由に使ってチームの運営ができていたのですが、企業がスポーツチームを持つということをやめてしまう傾向があります。

お金が減ったなりに環境を変えればいいとは言っても、しわ寄せがいくのは全部選手。選手の環境は必ずしも良くはなってないですよね。見えているところはいろんな技術を導入して、戦術をしっかりやっているところはあるんですが、見えないところの環境というのは、あまり変わってないと思います。

どうすれば変わっていくのでしょうか。

やっぱりスポーツである程度お金を作っていかなければならないと思います。今までプロ野球やサッカーだけでしたが、高校の部活動ですらアメリカではちゃんとスポンサーや寄付を募って、そのお金でコーチたちもプロを雇って、学校の学費とはまた違う予算でアスレティックデパートメントが運営されているわけです。運営するにあたってのお金を作る意識というのは持つ必要があると思います。

スポンサーがついたり、寄付してもらえれば、例えば高校のグラウンドにちょっと観客席を作ったり、スコアボードのシステムを変えてスポンサーを出せるようにしたりできると思うんです。我々トレーナーも含め、スポーツに関わっている人たちそれぞれがもう少しそういった意識を持ってやっていかないといけないと思います。

スポーツセーフティージャパンの活動でよく言っているのは、「こういった担架が必要ですよ」とか「こんなストレッチャーで人を運ぶと楽ですよ」「プロだったら用意しましょう」と。でも30万〜40万円かかりますと言うと、プロのチームでさえそんな予算は取れませんと。予算を取る取らないは別としても、ストレッチャーのような高い物でも、スポンサーを募ってロゴを貼るだけで、提供してもらえた例もあるんです。

知り合いのチームでの話なのですが、トレーナーが用具をそろえたいとチームに言っても、お金がないからと掛け合ってもらえないので、自分で整骨院に行って、ここにロゴを出すので出資していただけないかと提案に行って出資してもらったことがありました。大きいシールを作って貼っただけなんです。それでどうにか一年目は用具をそろえて、二年目は倍近く出資してくれることになったという実例があります。

これは小さな例ですが、ちょっとした取り組みで改善できると思うんです。スポンサーになってもらって、スポンサーに何かお返しできる関係を作るんです。スポーツをやっている人たちも歩み寄って何かアクションを起こすことはとても重要。スポーツをやることで地域に貢献できて、その価値を高めてお金が生まれるということです。自分たちでアクションを起こすことがあまりにも日本は少ないと思います。

やれることはいっぱいあるということですね。

僕らトレーナーも、給料安いんだよねと言ってしまえばそれで終わりなんですが、じゃあどうやったら給料を増やせるかを考えなきゃいけないですし、チームの予算がなくて、これ以上給料が上がらないなら、自分たちで作れる方法はないか考えなきゃいけないと思います。

今後も、スポーツの環境を向上させるための活動を続けたい

高校卒業後、アメリカに渡り一番衝撃的だったのは、学生トレーナーになった初日でした。自分のロッカーが与えられ、着るものと履くものが用意されていました。それだけでも驚きなのですが、仕事終わりに指定の場所に着たものを出しておくと、翌日同じようにロッカーに洗濯されたものが用意されている。高校までゴミ倉庫のような部室で、着替えも土のグラウンドの隅でやっていた自分にとっては、ただただショックでした。

そこでは、自分のロッカールームもそうでしたが、仕事場であるトレーナールームや廊下からトイレまで、大学のチームカラーで統一されていて、あちこちにチームロゴやマスコットが飾られていました。
それ以来、施設にハマってしまい、行く先々のクラブハウスなどの間取りやデザイン、床や壁の素材、ロッカーに付いてるフックの形状一つに至るまで、気になってしまい、最終的には製造元の工場まで訪ねるまでになってしまいました。趣味を超えた、完全なフェチです。

現在では、自分の関わる施設はもちろんですが、大学やプロチームのジムやクラブハウスのデザインやコーディネートの依頼を受けるようになり、今までのフェチに近い趣味が、思いがけず、仕事になっている状況です。

日本ではまだまだクラブハウスの環境に重きを置かない文化がありますが、選手が競技をする中で一番長く過ごすであろう場所であり、周りのスタッフも同じ状況で、いかに良い環境が提供できるかは、選手やスタッフのパフォーマンスに大きな影響を及ぼしていると強く信じています。

さまざまな立場でチームに関わってきた経験も生かし、選手がより競技に集中できて、スタッフを含めた全員が高いパフォーマンスを維持できる環境をハードの面からもサポートしていきたいと思っています。

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取材・文/今井 慧 撮影/齋藤暁経