「勝つためにスパイクを打ち続けた」ジュニア時代。結果として選手生命が削られていた
大山さんは2010年にバレーボール選手として7年間の現役生活にピリオドを打ち、2014年に勤め先の東レを退社した後、子どもの運動能力を伸ばすスペシャリストを目指してキッズコーディネーショントレーナーの資格を取得しました。現在は全国での講演活動やバレー教室といったバレーボールの普及活動を精力的に行っています。どうして小学生にバレーボールを教えようと思ったのでしょうか?
きっかけはとても単純で、子どもが好きだったのとバレー界に恩返したいという思いからです。ですが、全国のバレー教室で子どもたちの指導現場を目の当たりにして、その気持ちが少しずつ変わってきています。今は、私のように怪我で苦しい思いをしてほしくない。心の底からバレーを楽しんで人生を豊かにしてほしい。そういう指導を目指しています。
大山さんは中高一貫校である下北沢成徳高校(当時は成徳学園)を卒業した後、Vリーグの東レ・アローズに入ってすぐに腰椎椎間板ヘルニアと診断され、腰の痛みとひざの痺れを抱えながら日本代表でも活躍。そして2008年には腰部の椎間板ヘルニアと脊柱管狭窄症の手術を受けています。怪我にはいつ頃から悩まされていたのでしょうか?
小学2年生からバレーボールを始め、中高、社会人と、引退するまでバレー一筋の人生を送ってきましたが、私のバレー人生は怪我とセットです。というのも私が学生の頃はいわゆる従来のスパルタ指導が当たり前で、すでに小学5年生の頃には接骨院に通うほど。中学校に入学する頃には腰のサポーターが手放せなくなっていました。
腰を痛めた原因は何だったのですか。
無理なフォームによるスパイクの打ちすぎでした。バレーボールは相手からサーブ権を取ったタイミングでポジションのローテンションを行いますが、小学生バレーでは特別ルールによりローテンションがなくポジションは固定なんです。小学6年生のときにすでに身長が175センチあった私は、スパイクをひたすら打ち続けていました。
周りの選手より背が高いので面白いようにスパイクは決まるのですが、大きな身体を動かすには多くの筋力やエネルギーといった動力源を必要とします。特に、空中で反り返した身体から打つスパイクの動作は大きな負担がかかります。それに、常に打ちやすいトスが上がってくるわけではないので、無理な体勢でボールを打つことも少なくありません。体格と筋力がアンバランスな状態でプレーを続けた結果、腰に爆弾を抱えるようになったのです。
大山さんのように背の高い選手がチームにひとりいれば、「大山にトスを上げろ」「とにかく打て」というチームづくりになるのは容易に察することができます。
勝利至上主義に走ってしまえば、そうなってしまいますよね。実際に全国を回って子どもたちに指導していますが、全国大会があるがゆえに「ただ強く打てばいい」「試合に勝てればいい」と、指導者や両親が目先の一勝や全国出場を何よりも優先してしまい、子どもたちの身体づくりや楽しさがないがしろにされている印象を強く受けます。
身体に違和感を覚えれば子どもたちから何かしらのサインが出ていると思います。指導者は気づけないものでしょうか。
不調や怪我、そして痛みがある中、練習させること自体に問題がありますが、とはいえ若いうちは身体に無理が利くので身体のメンテナンスや休むということに意識が向かず、多少の不調や怪我を隠しながらプレーしている選手は少なくありません。かつての私も、「腰や肩が壊れても私が決める」という思いで、セッターにトスを要求していました。
しかし大人もそうですが、痛みが伴えば身体をかばうので、無駄な力が入ったり、フォームが変わったり、違和感のある部分をさする回数が増えたりと、子どもは何かしらのサインを発しています。こうした些細な変化を感知する力が指導者には必要だと考えています。
選手自ら申告するのはなかなか難しいですしね。
そうなんですよね。チームの戦力として認められることは選手として幸せなことです。一方で、不調を打ち明けてレギュラーから外されたら「二度と試合に出してもらえないかも」という恐怖や不安も心の奥底にあります。「将来を考える」「先がある」と頭では分かっていても、選手たちは目の前の勝利や試合で頭が一杯で、「未来」を犠牲にしてしまいがちです。そこは周りの指導者や親が守ってあげないといけません。
伝統的なスパルタ指導からの脱却。「体・技・心」で選手を育む
スキルの向上はアスリートとして喜ばしいことです。しかし、それは怪我をしない身体があってこそ。そう考えると、まずは土台となる身体づくりから始めるのがいいのでしょうか。
下北沢成徳高校時代の学びは、今の私の原点になっていますが、その一つに「体・技・心」の考え方があります。
よく耳にする「心・技・体」とは真逆ですね。
「まずは身体と技術を整えて、最後は気持ちを試合に持っていく」といった「体・技・心」の重要性は、ヤンキースの田中将大投手、プロゴルファーの青木功さんといった超一流のアスリートと呼ばれる方々も説いています。
私が思うに小学生から高校生であれば、まずは年齢や体格に合った怪我をしない身体づくりが先決です。基礎体力や筋力など、バレーボールに必要となる身体の土台ができると、コートでの動きのスピード、サーブやスパイクの打球の重さや速さといったスキルや能力は自然と底上げされます。
そして次は「技」です。各選手に適したフォームで練習を積み重ねることで磨きあげることができます。
そして最後の「心」。スキルが高まりプレーの質が変われば結果に表れてきますし、何より自信につながります。そして結果が変わると周囲からの見られ方も以前とは違ってきます。環境や立場が変わると自然と「心」の在り方は変わっていくものです。
バレーボールの強豪校・下北沢成徳高校の小川監督といえば、脱スパルタの指導で有名です。実際、どのような指導だったのでしょうか。
中学と高校は大輪の花を咲かせるための種を蒔く期間で、監督は選手の成長の邪魔をせず、あくまで黒子に徹するという姿勢を貫かれていました。そして、バレーボールを好きなまま高校を卒業させる。これを最も大切にされていましたね。
トレーニングメニューはどのような内容だったのでしょうか。
怪我をさせないために選手の身体づくりに重点を置いていました。私の場合は腰周辺に筋肉がつくトレーニングメニューが中心でした。また、自主練習の時間がとても多かったですね。チームとして、個人として、選手たち自身が課題を設定して、それに向けて取り組み、監督は木の陰からそっと選手たちを見守っている。そんな感じでした。
監督と選手の距離感はどうでしたか?
「絶妙」の一言に尽きます。接するときも一人の人間として尊重してくれました。選手を怒ったり、否定したりはせず、まずは肯定から入る。そして指導。そうやって選手の成長を促そうとしてくれていました。
これは私の妹のエピソードですが、高校最後の大会を終えた翌日に彼女は、校則を破って髪の毛を茶色に染めて登校したんです。案の定、監督から呼び出されまして。妹は説教されるのかなと思っていたらしいんですが、「君の顔立ちに茶色い髪はよく似合っている。でも校則を破ったことで、これまで頑張ってきた3年間が台無しになってしまうよ」と言われたそうです。
一方の私たちは、監督の考えに納得できないときは形だけの返事は一切しませんでしたし、うなずくこともしませんでした。自分たちの意見をぶつけ、監督もそれに向き合ってくれましたね。
選手を押さえつける管理型のスパルタ指導だったら、こんな態度を取った瞬間に鬼の形相とセットで怒号が飛びますね。
怒号で済めばラッキーかもしれません。今振り返っても、下北沢成徳に入っていなかったら私は選手としても人間としても潰れていたかもしれない。考えるだけで、ゾッとします。
大山さんは「スパルタ的な指導」と、その対極にある「自由な指導」の両方を経験された訳ですが、選手としてはどちらが成長したと思いますか?
どちらも強くはなりますが、「怒られたくないから」「叩かれたくないから」という理由で練習に取り組むほうが選手としては正直、楽です。ですがそれは、大人の顔色をうかがっているだけで、かりそめの強さでしかありません。指導者という立場から見れば「育成」とは呼べない。そう、私は考えています。
言葉は、子どもの栄養にも毒にもなる
実際にバレー教室で小学生を指導する際はどのような点に気をつけていますか?
結果の良し悪しではなく、取り組む姿勢、その過程や熱量、エナジー、元気といった「らしさ」に目を配るようにしています。逆に改善すべき点は、直接伝えるのではなく、それが改善できるメニューを提案するよう心がけています。もしくは、本人が気づくような「問い」を投げかけるようにしていますね。
メディアを通してですが、大山さんの指導を拝見していると言葉を慎重に選んでいる印象を受けますが。
言葉選びには神経を使っていますね。というのも、私が小学生で日本一になり、当時日本代表のエースだった大林素子さんにメダルをかけてもらったとき、「早く全日本に来てね」と声をかけてもらいました。その経験があったから「私も頑張れば日本代表になれる」と思えたんです。
私の場合はプラスに作用しましたが、当然逆のパターンだってなかったとは言い切れません。つまり、大人や指導者の言葉は、子どもの一生を左右してしまうくらい重く、そして怖さも持ち合わせています。だから、「私の言葉ひとつで子どもの人生が変わる」と常に戒めながら、彼・彼女らと向き合うようにしています。
指導者だけでなく、親がかける言葉も子どもにとっては大切になりますね。
もちろんそうですね。周りにいる大人の言葉で子どもは変わります。親は子どもの一番のファン、応援団長であってほしいですね。
取材・文/谷口伸仁 撮影/小野瀬健二