パラスポーツ指導者が重視する 「できない」と「できる」の間にある「分かる」

障害者一人ひとりの特性や違いの理解に努め、それぞれの強みやこだわりを生かしながら指導をする、下稲葉耕己氏。これまで彼が指導した陸上選手は、世界の第一線で活躍している。健常者、障害者に限らず、スポーツ指導で選手を伸ばすためには、「できる」ようになる前に「分かる」というプロセスが大事だという。そこで選手が「分かる」ためにどんな練習を行っているのか、聞いた。

インタビュイー

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下稲葉 耕己
one's Para Athlete Club(ワンズパラアスリートクラブ) 代表、NPO法人 日本知的障がい者陸上競技連盟 東京2020ディレクター

1984年生まれ、東京都出身。2008年順天堂大学大学院修了。大学院修了後、千葉県立千葉盲学校に着任。当時中学2年生だった視覚障害を持った松本春菜選手と出会い、陸上競技部顧問として指導を開始。その後、千葉県立特別支援学校流山高等学園でさまざま障害を持つ選手を指導。ロンドン2012パラリンピックでは、視覚障害のある選手に伴走するガイドランナー、走り幅跳びの踏切位置を声や手拍子で伝えるコーラーなどを経験。現在はone's Para Athlete Club(ワンズパラアスリートクラブ)の指導およびパラリンピック代表選手の指導も務めている。

健常者、障害者に関係なく、伸ばすには「分かる」プロセスが欠かせない

そもそも障害のある選手を指導するきっかけは何だったのでしょうか。

私自身、元高校球児で、いつかは監督として甲子園に出たいという夢があり、教員免許を取りました。教員となって体育教員として着任したばかりの学校で、私のついた指導教官が視覚障害のある方だったこと、この偶然の出会いが私の人生を変えることになりました。

2018年から日本代表の専任コーチングディレクターとなり、これまでに多くの代表選手を育成してきました。その経験から、障害者、健常者に関わらず、競技で選手が伸びるかどうかには、選手が理解すること、「分かる」ことが欠かせないと考えています。

「分かる」というのは、運動をする時の動作を理解するということでしょうか。

one's Para Athlete Club(ワンズパラアスリートクラブ) 代表 下稲葉耕己氏

私は体操や器械運動、マット運動などの指導をしたことがあるのですが、例えば、生徒の中に「前転ができない」子がいるとします。前転という動きひとつも技術なのですが、その技術が「できない」から「できる」になると、競技レベルが上がります。その「できない」と「できる」という間に、実は「分かる」というプロセスが存在すると思っていて。私はそれが選手の能力を伸ばすために必要不可欠だと考えています。

私は選手が「分かる」ために、それを阻害しているものは何か?をまず考え、どうすれば分かるかということに注力し、指導しています。

ちなみに分かるための練習と、できるようになるための練習は違います。障害者の場合は、障害自体が理解を妨げる要因になっていることが多いのですが、障害なので取り除くことができません。ですから、どうすれば選手が「分かる」ことができるかを考えながら、あらゆる手段を試します。

健常者の選手にとっても「分かる」ことは大事でしょうか。

大事だと思います。私の場合、これまで指導してきたのは障害者が中心ですが、健常者のお子さんの中には分かっているように見えて、実は分かっていないというお子さんがたくさんいると思うんです。健常者のスポーツ指導の場合、動作理解にしても、基本的に一斉に指導することがほとんどでマンツーマン指導ではありません。つまり、選手一人ひとりの理解度を確認しながら、手間ひまかけて指導する方法はなされていないことが多い。

ここで大事なのは、指導者が本当に伝えたい技能が選手に伝わっているかどうかなんです。一斉指導をする場合には、選手や生徒が理解できているのかという確認を、必ずした方がいいと思うんですよね。

動作と言葉の方程式は決して崩さない。それが鉄則

one's Para Athlete Club(ワンズパラアスリートクラブ) 代表 下稲葉耕己氏

日本ではまだあまり例はありませんが、海外ではパラリンピック指導者が健常者のチームを教えると、めちゃくちゃ強くなったという事例があります。健常者と障害者のトップコーチが共同で指導をしているという国もあります。

健常者を指導するコーチの皆さんも、「できない」の前に分かっているかどうかに着目して見極めてみるのもよいのではないでしょうか。そういう観点があると技能の向上がスムーズにいかない選手への指導方法を検討することができるんじゃないかと思っています。

どのように練習をしているのでしょうか。その際、気をつけていることはありますか。

まず、どんな練習でもいいので一度やらせてみます。そして改善すべきところを見つけたら、言葉かけをしていくのですが、その時に気をつけるのが、いろんな伝え方をしないこと。同じ動作を違う言葉で表現すると、選手が混乱してしまうので、この動作はこの言葉、というように動作の方程式のようなものを絶対に崩さないようにしています。伝えるときには同じ言葉を使うようにして、まずは理解を促します。時にはトライアル・アンド・エラーを繰り返し、「分かった!」となるまで理解できるようにするための方法をいろいろと試します。

既存の別の動作に例えて、選手が「分かる」よう促し腹落ちさせる

障害のある選手たちに、どういう伝え方をしているのでしょう。

one's Para Athlete Club(ワンズパラアスリートクラブ) 代表 下稲葉耕己氏

例えば視覚障害者の場合、誰もがイメージしやすい動作を例に挙げて伝えます。視覚障害がある場合、動きを見せて伝えることはできませんから、走るときの腕の振りについては「(アナログの)体温計を振るように振ってみて」のように、今は(デジタルが主流なので)体温計を振ることも減りましたが(笑)、誰もが理解できるようなほかの動作に置き換えて、伝えていくようにしています。ジャンプする感覚を理解してもらうために、跳躍器具を使って練習したこともあります。とにかく選手が分かる(感覚をつかむ)までいろんな方法を試していくんです。

ちなみに下稲葉さんは楽しくやる、できたら褒めるをモットーにされているとお聞きました。

体育教員として指導をしていたとき、生徒たちが授業でこれまでできなかったことができたとか、分かったとか、生徒自身がはっとした瞬間が一番楽しそうだし、私もうれしいんです。もちろん、部活の雰囲気が楽しいというのもあると思うんですが、スポーツの本質は、できなかったことができる。知らなかったことが知れる。そこに楽しみがあると思っていて、それがない授業やチーム練習はダメだと思っています。

知的障害を持った子たちは語彙(ごい)が少ないので、「厳しいけれど、頑張っています」のような簡単な答えしかできないかもしれません。でも恐らく彼らの中でもただ、仲間と集まってワイワイと陸上をやれるから楽しいと思っているわけではないだろうと。

今までできなかったんだけど、練習を重ねるうちにできることが増えていく。それがうれしいという選手が多いんじゃないかと。小さな積み重ねでも数をこなしていけば、成長へと、選手が強くなることにつながると考えます。いろんなお子さんを指導する機会がありますが、私は決してスポーツの本質を見失わないようにしています。

 

取材・文/松葉紀子(スパイラルワークス) 撮影/保田敬介