(前編から読む)
自分で物事を決めることの面白さ
お二人の「考える力」の原点をお聞きしていきたいと思います。まず、どんな幼少期を過ごしてきたのでしょうか。そして、これまでの最大の決断は何でしょうか。
森林氏(以下 敬称略):小学校は公立校に通っていて、当時は今と違って近所に子どもたちが気軽に遊べる公園があり、そこに行ったり、家の前の道路でプラスチックバットを振って野球をしたり。あとは甲子園も幼稚園ぐらいからずっと見て憧れていました。今考えても、幼少期に特別なことはありませんでしたね。
阪長氏(以下 敬称略):自分は変な奴でした。子どもの頃、僕は白い紙をつなぎ合わせてそこに道を描き、その上でおもちゃの車を走らせる子どもでした。あとはゲーム機を買ってもらえなかったので、たまに友達の家に行った時に面白かったゲームを、自分で紙で作ってみたり。新しい何かを作ることが楽しかったんです。誰も答えをくれないから、白紙の状態から考える。そんな幼少期でした。
森林:僕の場合、今でもよく覚えているのが高校時代の野球部での体験ですね。高校2年の夏が終わり、新チームになって上田誠監督(現在は、独立リーグ・四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズ球団代表)が就任されたんです。ある時、内野手とキャッチャーとピッチャーが監督に集められ「次の練習試合までに二塁への牽制をリニューアルしろ。自分たちで考えて動きやサインを決めろ」と言われ、練習が終わってから日が暮れて暗くなっていく中、みんなでああでもないこうでもないと相談しながら考えた。これが僕の中での、高校野球の一番の思い出なんです。上田さんがいらっしゃる前は先輩と自由に話すこともない、先輩が帰るまで帰らないで待つとか、いろいろなルールがあった。そこで上田監督が「古い高校野球を壊そう」と言って、上下関係も無くし、みんなでグラウンド整備をしたりと新しい試みを行っていった。その中で初めて、相談しながら自分たちで物事を決める経験ができました。
昔の高校野球は、言われたことをやるのが基本。監督の指示通りに動くのがいい選手でしたよね。
森林:はい、自分もそうなろうと思っていました。でもこの経験で初めて、自分たちで物事を決める面白さに目覚めたんです。それまでは結構無難に生きる中学生でした。受験勉強もそれなりにそつなくやって、それなりに合格する。そんなつまらない奴でしたから(笑)。幼少期は「塾はここがいい」「こういう学校に行きたい」といったように、親にコントロールされながらもある程度は自分で物事を決めていた感覚はあるんです。ただ、高校野球に関してはそれを諦めていた。「先輩や監督の言う通りにするものだ」という1年目の経験があり、思い込んでいました。
阪長:自分はラッキーなことに「こうしたい」ということは自分で自由に決めてきました(笑)。大阪育ちですが甲子園に出場する確率を上げるために新潟の高校を選び、高校ではピッチャーでした。でもある時、練習試合で1イニング11失点してしまって…。何も言われていないのに、翌日から勝手に外野手の練習を始め、気付いたら外野手でずっと試合に出ていました(笑)。大学時代も早稲田の1学年上に和田毅投手がいて。3年春の試合で3打席連続で三球三振。当時の監督に「お前はもう二度と使わない」と言われ「分かりました」と言って、翌日から左バッターになりました(笑)。「たとえうまくいかなくても自分で決めたことやから、それでレギュラーになれなくても俺の責任や」と。
お二人とも大学卒業後就職し、勤務していた大手企業を退職されていますね。この時は大きな決断だったのではありませんか。
阪長:会社を辞めたのは「一度だけの人生だから、野球を海外に広げる活動をしたい」と思ったから。もちろん誰も賛成してはくれないので、自分で決めました。最初はスリランカ。ナショナルチームの手伝いのため、1カ月の予定で行くと決めて会社を辞めました。何の保証もない、単なるボランティア。終わった後に人生がどうなっているかもわからない。そんな状況だったので、それなりに勇気が必要でしたね。
森林:僕の場合、退職したのは筋道を立ててのことでした。会社員を3年やりましたが、その途中で「この会社で自分が輝く未来はない」と分かったので、野球の指導者になろうと決めた。じゃあどこに行こうかと情報を集め、筑波大学に行くことにして、1年半ぐらいかけて資金をため、満を持して退職。淡々と予定通りにやったので、自分の中ではそれほど大きなことではなかったです。だから、人生最大の決断はこれからです(笑)。
互いをリスペクトし合う、選手と指導者のフラットな関係
お二人は、野球の本質的な価値を言葉にすると、どういうことだとお考えですか。
森林:野球に限らずですが「スポーツマンシップ」は答えのひとつだと思います。教室で授業を受けている中で、この感覚はなかなか養えない。チーム競技でぶつかり合いながらも切磋琢磨していくことや、相手チームとの関わり、相手や審判、それから応援してくださる方へのリスペクト。そういうことは講義を受けて身につくものではなく、体験しないと分からない。そして、スポーツは取り組みの結果が勝ち負けとして表れやすい。勝てた時の喜びと、負けた時の残念な気持ちや悔しさ。その振れ幅をスポーツを通じて感じることも大事。負けた時、悔しい時に、そこからどう立ち上がるか。その精神的なたくましさを養っていけるので、スポーツは人を育てるという意味で、とても有効なものだと思います。
阪長:スポーツには身体だけではなく心も丈夫にしてくれて、勉強と同等の価値がある。そのことをちゃんと伝えていきたいですね。
森林:スポーツをすると、いい人になれる。そのことを発信していかないと、ほかのことに負けてしまいます。「スポーツをするのは何の意味があるの? 時間とお金をかけて、しかも怪我のリスクもあるのに」となってしまわないよう、存在価値を高めていく必要があると思っています。
阪長:リーガ・アグレシーバの場合、始まってまだそれほど年月が経っているわけではありませんが「野球はこうあってほしい」「野球をもっとこうしたい」「野球はもっとこうできる」といった思いが多々あります。森林さんをはじめとする全国の仲間の力を借り、小さくてもいいから、みんなでそれを形にしていきたい。スポーツでは、学べることや気付きがたくさん得られます。豊かに生きる力を身につけることができる。人生にはさまざまな問題が待ち受けています。その時に自分で考え、困難から立ち直れるか。スポーツには人生を豊かにするヒントがたくさん詰まっている。それをぜひ学んでほしいです。
「高校球児」という言葉や、指導者の「うちの子」という呼び方など、高校生を子ども扱いする表現が多くのメディアで使われていることについてどう思われますか。
森林:高校生はほぼ大人です。だから「球児」はおかしいですよね。また、確かに多くの指導者が「うちの子たち」と言いますよね。僕はこの言葉も決して使いません。「うちの選手」「うちの部員」ですね。彼らを子ども扱いしてしまうことで「子どもなのでできないだろうから、大人がやってやろう」という発想になる。その発想が、彼らを子どもというポジションに押し込めてしまっているとも言えます。言葉に意識が表れているのかもしれない。
阪長:ドミニカの経験から僕自身が最も伝えたいことがそれです。指導者と選手の関係だけじゃなく、親子関係とか、教師と生徒の関係もそう。上司と部下の関係もそう。ドミニカでは当たり前のように、指導者と選手はフラットな関係にある。フラットがベースにあるけれど、もちろんなあなあになって仲良くしようというわけじゃない。指導者にはしっかりと威厳があり、選手も指導者をリスペクトしている。それなのに指導者が選手と同じ目線でいる。それは、指導者が選手をリスペクトしているからです。「選手たちは精いっぱいやろうとしている。失敗もするかもしれない。うまくいかないかもしれない。でも、常にチャレンジしている。だから、僕たちは指導者の立場としてできることをして、彼らの成長につなげていこう」。そう考えて、ずっとフラットな関係でいる。
この関係性は、日本社会全体に必要なものかもしれませんね。
阪長:ある時、ドミニカで17歳の選手に「あなたの国には指導者から選手に対するリスペクトはないのか?」と質問されたことがあります。思いもよらぬ質問で、今までそんなことを考えたことがなかった。向こうからすると、当たり前のように指導者から選手へのリスペクトがある。どんなに素晴らしい指導者も自分たちと同じ立ち位置にいてくれて、その中で成長できている。「リスペクトがなかったら、僕たちは逆にどうしたらいいんだ?」。そう言われ、うまく答えられませんでした。このことをきっかけとして、自分の中に「日本は今のままではいけないんじゃないか」という危機感が生まれ、この思いを日本に帰って伝えたくなった。そして、野球を通じて広めていきたいと確信しました。
日本の選手と指導者の関係とはまったく違いますね。日本では選手が指導者に言いたいことを言えないことも多い。森林監督の著書の中にも書かれていましたが、痛みを感じているのに、言わずに隠すことさえある。
森林:中学時代に抱えた痛みを引きずったまま入学してくる選手もいます。「これ相当痛かっただろうに、なぜ当時の指導者に何も言わなかったのか?」と聞くと「言えないし、練習を休めないので病院に行く時間もありませんでした」と。根深い問題だと思いますね。どんなことであろうと、正直に言ってきたことは叱らずに、まず受け入れる。そうしないと、その後に何も言わなくなる。「言ったら叱られる」「外される」となってしまうんです。それを「言って良かった」と思える環境にすること。身体のことであれば「じゃあここまで休もう」とか「様子を見て、痛みが変わらなかったら病院に行こう」といった対応をすることです。選手たちも、言って損をしないと分かればどんどん言ってきます。そこはもう誰でも受け止めて、信頼をコツコツと築き上げることだと思います。築いた信頼を壊すのは簡単。だからこそ、決してそれをしてはいけない。
阪長:本来、選手個人が成長した時に最大のパフォーマンスを出せるように指導者が考えていれば、対応の仕方は違うはず。「この夏のトーナメントに勝つことが全て」。そういう雰囲気がチームに作られていたら、怪我をしても言えなくなる。これはどこのチームも陥る危険性がある。その点、例えば2カ月3カ月をかけたリーグ戦であれば、指導者の考え方は違ってくると思います。
勝ち負けは客観的に明らかで、勝つことほど分かりやすいKPIはありませんからね。
森林:結局、大人が勝ちたいんでしょう。少年野球の指導者などもそうですよね。「子どもたちを勝たせてやりたい」と口では言うけれど、一番勝ちたいのは大人。指導者が勝ちたいし、親が勝ちたい。それでおいしいお酒を飲みたいわけです。まさに勝利至上主義ですよ。勝ったチーム=いいチーム。勝ったチームの監督=いい監督。負けたらダメなチーム、ダメな監督となるから、負けたくない、勝つしかないとなっていく。
阪長:選手がスポーツの経験を経て立派な大人に成長し、豊かな人生を歩んだかどうかは、なかなか成果が見えにくい。長い期間で見なくてはいけないから、評価されにくいんですよね。指導者は自分の中にしっかりした軸を持っていないと、分かりやすい目標に流されてしまう。勝利を目指し、勝つことで「この人いい監督だよね」と称賛される。つまり「勝てばいい」という安易な喜びに流されていくわけです。この状況を少しでも変えていきたいですね。ただし、これは時間がかかること。リーガ・アグレシーバはその解決のひとつの手段。リーグ戦で勝敗を競い、勝利のうれしさ、敗戦の悔しさを分かち合い、試合が終わったらまた仲間に戻る。それを繰り返していく。勝っても負けても、スポーツでこんな価値を作れるんだ、こんなに清々しい日があるんだ、ということを知る。そしてお互い成長していく。日本のスポーツの中でこういう関係性をもっと作っていきたいと思います。
「勝利至上主義」から「成長至上主義」へ
お二人には野球の未来、スポーツの未来に対する危機感はありますか。そして今、ご自身としてはどんなチャレンジをしていますか。
阪長:危機感はめちゃくちゃあります。中学校の指導現場ももちろんそうですし、日本全体を見ると、もっとスポーツが良いものになる必要がある。スポーツをしたい、やらせたい。野球をしたい、させたい。そう考える人をもっと増やしたい。野球をすることが人としての成長につながり、人生が豊かになる。そんな仕組みを作り、子どもには絶対に野球をやらせたいと考える親を一人でも増やしたい。お金は多少かかるかもしれないけれど、人生を考えたら絶対にやらせたいスポーツとして選ばれること。もちろん勉強も塾も大事だけれど、野球を「人生を学べる場」のレベルまで持っていかないと、いつの間にか選ばれなくなり、ごく一部の人のスポーツになってしまう。その思いが強くあります。
森林:より良いスポーツ環境を作りたいし、スポーツの価値、存在意義がもっと高まってほしいし、日本にそういう国になってほしい。もっと言えば、世界にもっとスポーツが広がって「戦争をやめてスポーツを楽しもうよ」となってほしい。そのためにもスポーツの価値や意義を、指導者として携わっている人たちがもっと発信しなくてはいけない。指導者には、現場にいる人間だからこそ感じること、分かることを積極的に伝えていく役割があると思います。自分のチームの勝ち負けも大事ですが、指導者として現場で思っていること、感じていること、将来に向けて言いたいことを発信し続けたいですね。
阪長:リーグ戦という仕組みを通じて、新たな価値を創造していく。それが自分のチャレンジです。実は10~11月は、野球をするのに最適な気候。でも今のシステムで言うと9割以上の高校野球の選手はここで公式戦を経験できない。これはすごい機会損失です。それともうひとつが、リーグ戦による試合機会の創出、そして選手が育ちやすい環境作りです。今の高校野球のシステムでいうと、環境に恵まれていない高校に有望な選手がいたとしても、目立たないままほとんど試合経験を積めず、卒業したら野球から離れてしまうケースも多い。逆に強豪校では、投げ過ぎなどで投手が潰れてしまったり、人数が多すぎて素質のある選手が埋もれ、結果も見えないまま、競技生活を終える選手もいる。能力があるのに目立たないまま消えていくような選手が出ないシステムを作る必要があるし、それはトップアスリートの育成と両立できる。今、プロ野球でドラフトされるレベルの選手は多数いる。でも、実は彼らの足下には、もっと高い能力があるのに潰れてしまっている選手がたくさんいるかもしれない。リーガ・アグレシーバの取り組みを通じて、もっと選手が育ちやすい環境を作りたいと思っています。ドミニカは人口約1,100万人の国なのに、年間170人近くの選手がメジャーリーガーとしてプレーしています。あちらの人に「僕らにできて君たちにできないことはない」と言われます。もちろんプロ選手を出すことが全てではありませんが、才能のあるアスリートをより多く拾い上げていくことを考えると、日本の野球界ができることはまだたくさんある。
森林:僕は「高校野球はこうでなければいけない」という古い考えを少しでも変えていきたい。もちろん今までの高校野球が大好きな方もいるし、そこを否定するつもりはありません。ただ「今まで成功してきたのだからこれでいい。何も変える必要はない。野球は日本のメジャースポーツ。これだけ成功してきて、今もこんなにお客さんが入っているじゃないか、何の問題があるんだ」と思っている人が多いのは確か。甲子園をエンターテインメントにして楽しんでいる大人たちは「高校生は暑い中で頑張ればいい。一晩寝れば元気になるんだから」と言って、冷房の効いた部屋で過ごしている。その人たちの心を少しでもかき乱したい。「本当にそれでいいの?」と一石を投じたいし、石を投げ続けたいですね。
最後にお聞きします。10年後の野球界を、お二人はどんなものにしたいと考えていますか。未来に向けたメッセージをぜひいただきたいです。
阪長:怒られるかもしれませんが、甲子園とは別の大きな価値を持つ大会を作りたいです。決して今の高校野球を否定するものではなく、必ずしも大会じゃなくていいし、自分が先頭に立たなくても構いません。もちろん甲子園で行う大会にも価値はあると思います。でも、もしかしたらこれからの時代、それだけでは十分ではないかもしれない。トーナメント一発勝負だと、単純に考えて、87.5%のチームは3試合以内に大会から姿を消します(半数が1試合で敗退、その半数が2試合で敗退という計算で)。控えで1試合も出場できない選手もいます。だからこそ、単純に考えて、あの大会をそのままにしたうえでも、さらに価値あるものが高校野球界でできれば野球界の発展につながるのではないかと思っています。まだ野望の域を超えていませんが、共感してくださる方と一緒に精いっぱいやっていきたいです。
森林:10年後には「勝利至上主義」という言葉が死語になっていてほしい。最近この言葉を「成長至上主義」と言い換えているんです。「そういえば勝利至上主義って言葉、あの時代で死語になったよね」と言われる時代が早く来るといいですね。スポーツは窮屈なものでも苦しいものでもなく、自分自身を成長させてくれる楽しいもの。そんな価値観が浸透すれば、僕がいろいろな場に呼ばれることもなくなる。みんなの成長のために野球があり、スポーツがある。指導者も選手も保護者もいい顔をして、前向きな気持ちでスポーツに携わってほしい。ぜひ皆さんの力を借りて、そんな未来を築いていきたいです。
聞き手/橋口寛 文/前田成彦 撮影/小野瀬健二