現役時代を支えた腸の健康。母から教わった「腸内細菌」研究で起業

プロフェッショナルとして活躍するアスリートたちにも、第一線から退く時期がいつかは訪れる。トップカテゴリーで活躍する多くの選手が、その時引退後のキャリア問題に直面する。16年間、他のチームに移籍することなく日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の浦和レッドダイヤモンズ(以下、浦和レッズ)一筋を貫き、2015年シーズンに引退してからは実業家として日本全国を東奔西走する鈴木啓太氏に、キャリアの作り方、アスリート経験から得たことについて聞いた。

インタビュイー

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鈴木 啓太
AuB株式会社 代表取締役

1981年生まれ、静岡県出身。高校を卒業後、2000年にJリーグの浦和レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)に入団。攻守を支えるボランチとして活躍。2006年のJリーグ優勝、07年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などのタイトル獲得に貢献。日本代表では国際Aマッチ通算28試合に出場。イビチャ・オシム監督が指揮を執った期間、唯一全試合にスタメンで出場。2015年シーズンの現役引退まで浦和レッズ一筋を貫いた。引退後は実業家に転身し、アスリートの腸内細菌を研究するスタートアップ企業AuB(オーブ)株式会社の代表取締役を務めている。

「うんち」が誘う出会いと起業。アスリートのネクストキャリアは現役時代から始まっている

鈴木さんが浦和レッズを退団したのは、2015年シーズンで34歳のときです。現在は、アスリートの便から腸内環境を研究するAuBという企業の経営者として人生を歩んでいます。アスリートのネクストキャリアについて、鈴木さんご自身はどのようにお考えですか?

AuB株式会社 代表取締役鈴木 啓太氏

実業家として活躍している元日本代表の中田英寿さんが「サッカー選手で終わるつもりはない」と仰っていたように、ファーストやセカンドという区分けをせずに、人生そのものがキャリアだと考えるようにしています。僕は18歳でプロになりましたが、当時のサッカー選手の引退年齢は26歳前後と言われていましたから、「サッカー選手としてやれても、せいぜい30歳ぐらいまで」という意識で現役時代を過ごしていました。

浦和レッズに入団した当初から引退後のキャリアが頭にあったのですね。

そうですね。チャンスがあれば貪欲に人に会いに行っていました。また、「40歳にもなると、飛び跳ねながら応援した翌日の仕事は身体にこたえる」といったサポーターの声を聞くたびに、「年齢を重ねても、スタジアムに元気に足を運んでもらうには?」「サッカー選手としてファンに還元できることは何だろうか」ということを現役の頃から意識していました。

現役中に競技以外のことにも関心を持ち、アンテナを張っておく必要はありそうですね。

現役のアスリートにはそれは強く訴えたいですね。僕の場合は、興味関心が「腸内環境」で、いろいろな偶然が重なって起業に結びつきましたが、選手は必ずいつか引退し、その後、生活の土台を自分自身で築かなければなりません。アスリートのネクストキャリアの重要性は声高に叫ばれているのに、夜ブログを書いて投稿していると「競技にのみ集中しろ」とちくりと刺される。誰も僕の将来を保証してくれるわけではないのに。

(笑)。鈴木さんはネクストキャリアの成功事例になると思いますが、現役選手はどのように生活を送ればいいでしょう。

通信制の大学に通う、強力な武器になる国家資格の参考書を読む、毎日新聞を読み世の中の流れを把握しておく、英単語を毎日5つ覚える……。なんでもいいですが、引退後の自分の姿をイメージし、それに必要なアクションを1日1時間でいいから生活の中に取り入れて勉強しておくことは必要だと思います。

これはアスリートとして競技を疎かにしてよいと言っているのではありません。アスリートにとって競技でベストのパフォーマンスを発揮できるようトレーニングを積んで、コンディションを管理することが大前提です。僕自身、大先輩から「ハードな練習で体は疲れているかもしれないけど、会社員に比べれば時間はある。現役のうちにしっかり勉強だけはしておけ」と口酸っぱく言われていました。先輩の言葉の意味が理解できたのは、引退してからですけれども……。

鈴木さんは現役最後のシーズン中にAuBを起業しています。現役時代から事業を起こすことを意識されていたのでしょうか。

AuB株式会社 代表取締役鈴木 啓太氏

いえいえ(笑)。ただ、便がすっきりと出ると身体の調子が良く、残便感があると思うように身体が動かない。また僕は難を逃れましたが、2004年3月に行われたアテネ五輪アジア最終予選のUAE戦で、代表選手の約8割にあたる18人が下痢の症状を訴えて試合直前までトイレにこもる事態を目の当たりにしました。そういった経験を通して「腸の環境を『見える化』できれば、アスリートのコンディションアップにつながるのでは」という思いはありました。それでも当時はまだ「起業」という言葉は僕の頭の中にはまったくなくて、一度しっかり勉強してから社会に出ても遅くはないと思っていたくらいです。だから起業は、まったくの偶然でした。

そうだったんですね。では、起業にはどのようにして至ったのでしょうか。

仲の良い知人のトレーナーから、うんちのアプリを開発している人を紹介してもらったのがきっかけです。即実行が僕の信条なので、3日後には会う予定を彼に組んでもらいました。それでアプリ開発者と初めて対面し、話に花が咲いていく中で「アスリートの腸内細菌を調べたら面白くないですか」となり、翌日には会社設立の手続きをしていました。

ものすごいスピード感ですね。

事業計画とか、経営ビジョンとかまったく持ち合わせていなかったので、僕自身が一番驚いています。アスリートのうんちからどんな発見があるのか。初めてサッカーボールを蹴った時に似た興奮や好奇心を感じました。

そもそも鈴木さんは、幼少期から腸内環境への関心が高かったと聞いています。

そうですね。幼い頃から調理師である母親に「腸の状態がもっとも大切」「便を見なさい」と言われて育ちました。起業して実際に「茶色いダイヤ」であるヒトの便を研究し、これまで「マスターズの陸上選手は一般の高齢者より腸内環境のバランスを乱すような菌が少ない」「一般の方は腸内細菌の全体数のうち2~5%が酪酸菌なのに対して、アスリートのそれは5~10%と約2倍の割合」など、アスリートの腸内環境の研究結果をいくつか発表しています。こうした科学に裏付けされた知見は指導者の方々にはぜひ、知っておいてもらいたいです。

しかしその一方で、アスリート、特に若い人たちには、コンディションの状態を知るために、身体の声にも耳を傾けてほしい。というのも、科学やデータ偏重になりすぎると数値上では体調はベストなのに「パフォーマンスはいまいち」という選手は少なくないんです。例えばですが、「夕食:ご飯、みそ汁、酢豚、ヨーグルト。便:紙が不要なほど、キレがよく色も形もいい奇跡的なうんち。パフォーマンス:1ゴール、1アシスト」のような簡単な「うんち日記」をつけながら、腸内環境とパフォーマンスの関係に向き合ってくれたらうれしいですね。

監督の目線で考えてみると、「言語」が違うだけ。ビジネスに必要なことはサッカーに全て詰まっていた

2015年に起業してからすでに5年が経ちました。浦和レッズ時代の鈴木さんは、チームの舵取り役であるボランチとして活躍。「強い個性」をまとめるという点では、組織運営と重なる部分はあると思いますが、実際にサッカーを通してビジネス界で生かされているスキルや考え方はありましたか。

AuB株式会社 代表取締役鈴木 啓太氏

起業した当初は、サッカーとビジネスはそれぞれが異世界で決して重なることはないと思っていました。ただ今は、社会のなかにビジネスという分野があって、そこにスポーツ、さらにはサッカーという世界がある。属しているコミュニティの大きさや、使われている言語が違うだけで、本質的な価値や考え方は共通していることに気づきました。むしろ、ビジネスや会社経営で必要なことはすべてサッカーから学んでいたと実感しています。困ったときは、「チームのメンバー選出は。戦術は。勝負どころ、引き際は。オシム、ブッフバルト、堀といった監督ならどういう采配を振るのか」。そう考えるようにしています。

これまでさまざまな監督から指導を受けてきた鈴木さんから見て、「常勝チーム」を築けるような、優秀な監督に共通する点はありますか。

これはもう「観察力」と「伝える力」ですね。チームの勝率を1%でも高めるには、プレーヤー全員が力を発揮して活躍できる環境を整えないといけません。雑談とかで気を抜いている瞬間に見せる、スタッフの仕草、服装、息遣いに表情などをよく観察するようにしています。現役のアスリートの皆さんにはぜひ、指導者が伝える言葉の本心やその言葉を選んだ背景にまで思いを巡らせてみてほしいと思っています。

観察力、伝える力もそうですが、状況判断や情報処理能力、決断力、勇気、勝つための思考法、自制心など、そうしたビジネスでも必要な能力を高い次元で備えているのがアスリートなんですよね。

そうですね。基本的な考え方やスキルを突き詰め、足元を固めてきたアスリート。そんな彼らであれば、引退後のキャリアをどこに設定しようと、自分が活躍する業界のトレンドや情報、使われている言語、そしてスキルを習得するだけで活躍する可能性がグッと高まるはずです。「スポーツ以外は何もできない」と自分を卑下することなんてまったくない。僕らもアスリートの腸内細菌の研究を加速させ、アスリートの引退後のキャリア、果ては今後ビジネスのセンターピンになるであろうスポーツ界に貢献していきたいと考えています。

 

取材・文/谷口伸仁 撮影/小野瀬健二