自ら考え、動ける選手を増やす。選手たちのその後を本気で考えています

2012年のロンドン五輪に陸上男子800mの日本代表選手として出場。その後はアメリカに渡り、競技を続けながら公認会計士の資格を取得するという異色の経歴を持つ横田真人氏。2016年に現役を引退し、現在は自身の陸上クラブ「TWOLAPS TRACK CLUB」を運営している。アスリートからコーチへの転身、コーチの役割とは何か、について話を聞いた。

インタビュイー

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横田 真人
TWOLAPS TRACK CLUB代表、陸上競技指導者

1987年生まれ、東京都出身。陸上男子800メートル元日本記録保持者であり、日本選手権では6回の優勝経験を持つ。2012年ロンドン五輪では日本人として44年ぶりに800メートルでオリンピック出場を果たし、同年に渡米。サンタモニカトラッククラブで2年間の競技生活を送る。アメリカでの競技生活の傍ら、米国公認会計士試験に合格。2016年に現役を引退し、2017年4月にNIKE TOKYO TCコーチに就任。新谷仁美選手のコーチとなる。後進の指導にあたりながら、2020年1月にTWOLAPS TRACK CLUBを立ち上げ、 経営者としてスポーツに関連するさまざまなビジネスを手がける。

大学生になってから「オリンピック」を意識し始めた

まずは選手時代のことをお伺いさせてください。いつ頃からオリンピック出場を意識されましたか?

陸上競技は中学3年生の頃、顧問だった先生に誘われて始めました。はじめから高い目標を掲げていたわけではなくて、高校時代は「インターハイに出られたらいいな」というくらい。まさか自分がオリンピックに出られるとは思っていませんでしたね。でも高校1年生のインターハイ出場をきっかけに、少しずつ目標が大きくなりました。

大学に進学すると、1年生で日本選手権に出場し、優勝を果たしました。さらにその翌年も日本選手権優勝。同年、2007年に開催される世界陸上に出場できることになったんです。でも世界陸上では、1秒以上も自己ベストを更新したのに惨敗。そこで「もう一回この選手たちと戦いたい」という気持ちが湧き、オリンピックを意識し始めました。

そこから奮起して、オリンピック出場を果たされたのですね。

当時、オリンピックや世界陸上の800mに日本代表として出場していた選手はわずかでした。オリンピックの800mなんて、日本人は40年以上も出場していなかったんですよ。私は誰もやってこなかったことに挑戦したいタイプなので、その状況がとても魅力的に感じました。長距離や駅伝のお誘いもありましたが、すべて断って800mにこだわりましたね。

ただ、大学生のときに開催された北京オリンピックには出場できませんでした。このままでは終われないと思い、一般企業に就職するのではなく、実業団などに入り選手になろうと覚悟を決めました。そして富士通に入社し、2012年のロンドンオリンピックで出場を果たしています。

いつか必ず訪れる、引退後への準備

オリンピック出場後、なぜアメリカに拠点を移されたのでしょうか?

海外渡航や公認会計士の資格取得は、「怖い」からこその未来への備えだった

もともと、大学卒業後も競技を続け、アスリート一本で生きていくなんて考えたことがなくて。実業団の選手になると決めたとき、ものすごく不安だったんです。でも、当時、大学のゼミの先生に相談したら、「絶対にやったほうがいい。そして、世界と戦いたいなら海外に行きなさい。でもその代わり、いつか必ず辞めるときがくるから、そのときのために準備をしなければいけないよ」と言われて。

ゼミの先生は大手コンサルティング会社を経て、大学教授になっていて、私が引退後に入りたい世界に近い人でした。そういったキャリアと実績を持っていたので、とても信頼していたんです。ゼミの先生の言葉を信じて、アスリートになることを決意し、海外に行こうと決めました。いくつかの実業団からお誘いをいただいていた中で、富士通を選んだのは「海外に行ってもいい」と言ってくれたからでした。

アメリカに移ったのはロンドンオリンピックが終わってからの2年間。競技を続けながら、いつか訪れる引退に備えて、英語を学び、公認会計士の資格を取得しました。アメリカでの競技生活は日本よりも放任主義で、練習もプライベートも「自分で決める」ことが増えましたね。その中で考えても調べても、結局のところやってみないと分からないと実感することも多くて。だから、失敗しても構わないからやってみる。そのスタンスは今のビジネスやコーチングにも生きていると思います。

現役引退を決めたのは、何がきっかけだったのでしょうか?

私は2016年に現役を引退しました。引退を決めた理由は大きく2つあって、1つはリオオリンピックに出られなかったこと。そして、もう1つはコーチになると決めていたことです。

富士通ではオリンピック出場を求められていたし、私もそれを約束して入っているつもりでした。だから一度ロンドンオリンピックで結果が出たからといって、その後何年もやらせてもらうという価値観は私の中になくて、リオに出られなかったのだから辞めようと。また、NIKE TOKYO TCのヘッドコーチにならないかという話を2015年にもらっていたので、2016年で辞めようと決めました。

つまり、引退前からやることを決めていたんです。そうじゃないと、辞めるのが怖くて。NIKE TOKYO TCの話をもらう前から、引退後はアメリカの大学院に行こうと準備を進めていたほどです。だから、今でもコーチだけやっていればいいとは思っていなくて、いろいろなことに取り組んでいます。

チームをゼロからつくるチャンスが訪れた

以前からコーチの仕事に興味を持たれていたんですか?

いえ、コーチになろうとは思っていませんでした。私はとにかく自分で考えることが好きなんですよ。現役時代は自分でプランを練り、次はどんなレースにしたいか考えて練習する。でもコーチがいると、その楽しみが奪われてしまうじゃないですか。

コーチとディスカッションできたり、自分の意志が反映されたりするなら良いかもしれません。でも多くの場合は、コーチの指導法やメソッドに従って練習しなくてはならない。だからこれまでコーチをつけたことはありません。私自身が「コーチは必要ない」と思っていたので、コーチになるなんて考えていなかったですね。

では、なぜNIKE TOKYO TCのコーチになることにしたのでしょうか?

NIKE TOKYO TCの話を持ちかけられたのは、ちょうどアメリカの陸上、中長距離が強くなり始めていた頃でした。向こうのチームの知見を日本に持ってくるために、まずは留学してくれと言われたんです。仕事として留学をしながらアメリカの情報を得られるなんて、ありがたい話だなと思いました。

そしてアメリカから帰ってきたら、NIKE TOKYO TCでチームをゼロから作ってほしいという話でした。普通なら実業団に入ってアシスタントコーチを経験してから、コーチや監督になります。でも、そんな下積み期間を経ずにチームを持てるなんてチャンスじゃないですか。だから、お話を受けることにしたんです。

NIKE TOKYO TC解散後もコーチを辞めず、ご自身でクラブを立ち上げた理由を教えてください。

NIKE TOKYO TCの頃から教えている選手をはじめとし、私を頼ってくれる選手がいました。そんな状態で、もう辞められませんよね。

そしてもうひとつ、陸上界、ひいてはスポーツ界全体を良くしたいから、という理由もあります。スポーツ界には未だにアナログな部分が多く、運営スタッフに大きな負担がかかり、運営に新しい人を巻き込みにくい。そんな状況を変えるためにも、きちんとしたシステム整備が不可欠。現在、競技大会のエントリーシステムを開発しています。これはスポーツ界として意義のあることだと思っています。

でも私がビジネスマンだと、誰も話を聞いてくれません。やはりコーチとして選手を指導し、毎日現場に行っているから、運営を統括する側の人も話を聞いてくれるわけです。コーチとビジネスマン、二足の草鞋を履いているからこそできることがあると思っています。

選手が自分自身で選択し、主体的に考えられるようコーチングする

コーチとして気を付けていること、心掛けていることを教えてください。

横田 真人 氏 TWOLAPS TRACK CLUB代表兼コーチ、合同会社TWOLAPS CEO
特定のメソッドを持たず、各選手に寄り添って考えるコーチングスタイルをとる

メソッドのようなものは特に作らないようにしています。選手それぞれ求めてくるものが違うので、それに合わせているんです。私は良くも悪くもこだわりがまったくない、いわゆる結果主義なんですよね。速ければいいし、稼げればいいし、その選手が幸せならいい。そのために一人ひとりに寄り添うという点は、コーチとして大切にしています。

例えば走り方を変えるよう指示したことで結果を出した選手もいるし、逆にそういうテクニックをまったく教えなくても結果を出している選手もいます。中には家に引きこもっちゃう選手がいて、一時期は毎日のように家まで足を運んだこともありました。一人ひとり、本当にまったく違うんですよ。

だから、とにかくちゃんと見てあげること。何か言いたいことがあっても、選手の状況を見て、時を待つ間はただ見守り、少しずつ時間をかけて伝えていったりすることもあります。選手は都合よく解釈しがちなので、遠回しに言っても大体は響きません。一方でダイレクトに言い過ぎると、逆効果になってしまうかもしれません。だから、タイミングと伝え方はとても大事にしています。

また選手たちには「結果が一番大事だ」と伝えていて、オリンピックを目指すと公言しない人はチームに入れないと決めています。それが何年後でも構いませんが、オリンピックや日本代表などの目標は絶対条件。だって、言葉にできるくらいの気持ちがないなら絶対にオリンピックなんて無理じゃないですか。もちろん、結果が出るかどうかは誰にも分からないこと。でも、そのための努力を第一優先にするっていうのは、絶対にブレちゃいけないと思っています。

競技の結果は選手としてではなく、その後のキャリアにもつながります。スポーツの世界では結果を出さないと、何を言っても説得力がありません。だからこそ、やはり競技の結果が第一にこなければいけないと思うんです。

アメリカでの競技生活と比べて日本陸上界の指導は横田さんにはどう映りますか?

日本の指導は、すごく緻密で良いと思います。でも一方で、もう少し本当の意味での主体性を選手に持たせてあげた方が良いのかもしれません。自ら動ける選手を育てる。これを、やはり視野に入れないといけない気がします。

例えばオリンピックやスポーツのあらゆる問題についてアスリートに意見を聞いても、おそらく自分の意見を言えないし、そもそも考えることができない。日本は環境が整っていたりルールが設けられていたり、コーチが全て決めてくれることも多いので、考えなくても競技できてしまうんですよ。

中には練習メニューをいくつか並べて、選手たち自身に選ばせているという指導者もいます。でも、そんなの選択じゃありませんよね。もっと手前に、そもそも「やる・やらない」の選択があるし、練習場に来るかどうかだって本人の判断です。だから選択をする余地、考える余地をたくさん与えること。多くの指導者はティーチングは上手なのですが、本当の意味でのコーチング、つまり引き出すところが不足していると感じるので、そこが課題なのかもしれません。

選手・スポーツと社会をつなぐ役割としての、コーチ

どんなコーチでありたいと考えていますか?

私はコーチというより、先輩に近いのかもしれません。もちろん走る技術を教えたり、メニューを組んだりしています。でもそれ以上に、各選手たちのその後のキャリアを本気で考えています。どんな道に進みたくて、そのために何をしておくべきなのか。一人ひとりが目指す方向性を会話を通して引き出すし、必要があればサポートをする。例えば今私が関わっている事業である陸上イベントを選手と一緒に開催したり、選手個人のブランディングを考えたりすることもあります。

練習以外にも選手と一緒にできることがあるから、会話の幅も広いですね。練習内容や体調の確認、メニューの指示だけでなく、例えばイベントをやる選手には「あのイベントどうなってる?」と聞いたり、本が好きな選手に「何読むの?」と聞いたり。質問することで、選手自身に自分の考えや意見をアウトプットしてもらうことが大事だと考えています。

現在はどんなことに取り組んでいるのでしょうか?

横田 真人 氏 TWOLAPS TRACK CLUB代表兼コーチ、合同会社TWOLAPS CEO

 

陸上のコーチとしての活動が主ですが、陸上競技大会のエントリーシステムの開発にも取り組んでいます。未だにアナログで、手間のかかる陸上競技大会のエントリーを、システムによって効率化するんです。それによって大会運営スタッフの作業にかかる時間を減らし、大会をより良くする方法を考えるなどクリエイティブな時間を増やしてもらいたいなと。そうすれば、もっと誰もがハッピーに競技に関われるのではないかと思うんです。

そのほか、いずれ自分たちで大会を運営したいと考えています。そういったビジネスの流れがつくれると、陸上競技の選手が自分たちで稼ぎ、自立できるモデルにつながっていくのではないかと模索しています。

今後のビジョンを教えてください。

まずは、陸上競技の中でも長距離や短距離に比べると注目を浴びにくい中距離種目を、もっと持続可能なものにしたいと思っています。オリンピックで成績を残すことだけにこだわるのではなく、中距離という種目が社会にとってどう役立つのか。観ていて何が面白いのか。そういう部分もしっかり考えてビジネスとしてまわし、自分たちの活躍する環境を自分たちで作っていきます。

オリンピックの開催を喜んだり、スポーツ大会の頂点として扱ったりすること自体は構いません。でも「オリンピックで成績を残さなければそのスポーツは終わり」といった論調は、間違っていると思うんです。

そもそもなぜスポーツが社会に必要なのか、 なぜ走った方がいいのか、あるいは数あるスポーツの中でなぜランニングなのかなど、魅力を伝えていくことが大切ではないでしょうか。私は、それが健全だと思います。

自分たちが存在していくための方法を、まず中距離を通してきちんと形づくっていく。そしてそれはほかのスポーツも同じだと思うので、最終的には一緒にスポーツの存在意義を考えていけたらいいなと思います。

 

取材・文/三河賢文  撮影/小野瀬健二