痛みを伴う改革のスタート
「選手」ではなく「人」を育てるために
佐伯氏がスペインリーグのフットボールクラブ・ビジャレアルの指導者となったのは2008年。2014年から佐伯氏を含む120名の指導者たちの、指導改革が始まった。
日本でも、プロサッカー選手になり現役で長くプレーを続けることは簡単なことではない。南米や欧州のサッカー大国では、それはさらに熾烈を極める。イングランドの150万人のフットボーラーのうち、プレミアリーグでプレーしているのはたった180人、0.012%というデータもあるという。よって、プロ選手になるためには、ほとんどの時間をひたすらサッカーに費やすことが求められるのだが、そんな現実とは裏腹に、チームで教えられるのはサッカーの戦術やスキル。引退後のネクストキャリアにまで目を向けると、選手ではなくなった彼らは突然その後の人生を自分で切り開いていかなければならなくなるのだ。
フットボーラーではなく、人を育てよう。そこで学んだことは必ずフットボールにも生きるはず——。そんな考えから、選手の人生を通したキャリアをサポートしようと始まったのがビジャレアルの指導改革だった。「教える」のではなく「自分で考え判断できる」選手の育成へ。改革を進めてきたビジャレアルは2021年5月、ヨーロッパリーグ初優勝を成し遂げた。
黙ってベンチに座り込むことしかできなかった指導者たち
指導改革の道のりは指導者たちにとって容易ではなかった。
「私たちの当たり前、スタンダードを崩された後に起こったのは、指導者はただ黙ってベンチに座り込むだけ、という現象でした」と佐伯氏は話す。
「これまで私たちがやっていたことは、実はとても簡単なことだったんです。私たちの視点から見た私たちの答えを一方的に選手たちにインプットしているだけ。『右サイドバックは何メートル先に立っていろ』『そこから12メートル離れた先でセンターバックはカバーをしろ』『この選手がこう動いたら、こちらに下がって来い』……。そんな“答え”を事細かに、あたかも絶対的な解であるかのように伝えてきたのです。
選手が何を見てどう感じたのか、どういう選択肢があったのか、その中からなぜそのひとつを選んだのか。選手一人ひとりにアプローチをして、それらの答えを聞いたことがあったでしょうか? そんなこと、まったくしてこなかったんです。だから、座り込むしかなかったのです」
120人ほどいた当時のビジャレアルの指導者たち。中には「そんなバカなことはありえない。それじゃチームは勝てない」と反発、拒絶し、そのままチームを去る人もいたという。ただ一方で、好奇心を持ち「やってみよう」と考える人もいた。自分の指導を直視し、他者のフィードバックを受け入れ、学びの一歩を踏み出したことで、改革が動き出した。
「考える機会」を指導者が奪っていた
何も言わない選手は、意見がないのではない
佐伯氏は改革の中でどのような気付きを得たのか?
「選手は年齢にかかわらず、与えられるものに応じる呼応の本能があります。だからこそ、指導者がどうあるかによって大きく変わる。指導法を変えたことでそれを圧倒的に実感しました。この子たちってこんなに自分の意見を言える子たちだったんだ、という発見があったのです」
たとえば試合中、左側にスペースがあったのに選手が右にパスを出した場合。それまでは、「今のは左だろう」と指示を出していたそうだ。そこにあるのは、なんでそんなことができないのか、という指導者側の一方的なジャッジだった。しかしそれを、「問いかけ」に変えた。
「なんで右に出したの?左だと思ったんだけど、と聞いてみると、選手はなぜそうしたか考えます。無意識に出したのであればそれでもいい。それなら、左がフリーだったから気にしたほうがいいよと伝えれば良いのです。しかし問いかけてみると、『左かなとも思ったんですけど、一瞬目に入った敵の選手がいて、パスコースを切られたと思ったので右に出しました』と答えが返ってくることもあるのです。それはすごい判断じゃないですか。
指示を出すことで、私たちは選手たちが自分で考える機会を奪っていたんです。同様に、先に正解を教えることで、失敗する機会も奪っていた。本当に大切なのは、選手に『余白』を与えること。つまり、彼らが必要としている、時間やリズム、タイミングを与えることだと気が付きました。
自分の考えを取り入れる『余白』を提供することによって、全然知らなかった選手たちの一面が見えてきます。おとなしいと思っていた子がものすごくサッカーをよく知っていたり、周りがよく見えていたり。アプローチが違えば、随分と違う発見が広がっていたのに、私たちができていなかっただけだったと気が付きました」
先回りして指示を出すのではなく、考える機会、失敗する機会をつくるために、「問い」を発する。そのコミュニケーションによって、選手たちは自分で考え行動できるようになっていく。

指導時の動画を撮影し、ダメ出しし合った
気付きを得るまでに、指導者たちはどのような過程を辿ったのか。ビジャレアルで実践されたいくつもの方法のうち、最も有効だと感じたのは、「動画を撮る」ということだった。
「指導中の動画を撮って自分で見る、他人にも見てもらって振り返るという方法は、最初はとても嫌なものでしたが、最も効果的だったと思います。なぜかというと、逃げ道がないから。指導中に言ったことを後で指摘されても、そんなこと言ってないと言い逃れられたり、忘れてしまったりしますよね。動画だと細かく証拠が残っているので事実がそのまま突きつけられる。
冷静な環境下で自分の指導を反省したり、『今の言い方はちょっときつくない?』など素直に周りからのフィードバックを受けることで、大きな気付きがあるのです。繰り返していく中で、私たちが使う言葉が一方的なものから双方向性を持ったものに変わっていきました」
加えて、自分の感情との距離を取ることも重要な要素だという。指導者はどうしても、結果を出さなければ、勝たなくてはと思ってしまいがち。しかしそういった焦りから生まれるイライラや怒りの感情に振り回されていては、意識を目の前の選手の成長に向けられなくなってしまう。感情と距離をとることが、指導者としてのさらなる成長につながる。
また、佐伯氏はスペイン国民が持っている他者への「リスペクト」が改革の根底にあったと話す。
「日本では人と関係性を作るとき、無意識に年齢や立場の上下を判断しがちです。上に対しては敬語を使い、下と思った瞬間にタメ語になる、というのもひとつの現れですよね。良し悪しではなく、縦並びに人を位置付けていく習慣が私たちの中にあるのです。だから、指導者と選手の関係性も必然的に上下関係になってしまう。
一方でスペインは、人間関係がフラット。しかしその中で、人として生きていく上で最低限守らなければならない聖域は絶対に侵しません。たとえ相手が子どもであっても、指導者と選手の関係であっても、そこに踏み込んではいけないのです。それが相手への『リスペクト』です。
ビジャレアルでは、行き過ぎた指導をした時に『それはリスペクトを欠いてないかい?危険信号だよ』と周りが止めます。一人ひとりがリスペクトを大事にする文化をつくることが重要だと考えています」
「正解を教える」ことから脱却した新たな指導
問いかけを重視し、先入観を疑う
自分の言動に意識的になることで、変えるべき点が見えてくる。そうなった時、具体的にどんな指導をしていけばいいだろうか。佐伯氏はまず、選手が考える癖をつけるために、余白を残すべきと話す。そのためには問いかけが重要になる。
「一方的な断定ではなく、選手が見て聞いて、感じて考えているものを尊重するための問いを工夫しています。それによってコミュニケーションが双方向になります。特に、YesかNoで答えられないオープンクエスチョンを投げかけることが大切ですね。
問いかけると答えられない子もいます。一方的なインプットが浸透し過ぎていて、自分で考えろと言われた瞬間に混乱してしまう選手を目の当たりにしました。これまでいかに、指示や命令を出してロボットのように動かしてきたかを大いに反省しましたね。それが大きな気付きとなりました。いまは、失敗を恐れて先回りし、正解を教えるのではなく、自分で考え動けるように、失敗できる場を作ってあげることの方が大切だと思っています」
また、その際、先入観を持たないことにも気をつけたい。気が付かないうちに、選手をラベリングし、「この子はこんな子」と決めつけ可能性を閉ざしてしまう危険がある。
「小学生のチームで、キャプテンマークを2週間に1度回していくワークショップを行ったことがあります。すると、普段はあまり意見を言わずおとなしかった選手が、キャプテンマークを身につけた2週間でまったく別人のようになったのです。私たちがその子に、勝手にラベリングしていたことに気付かされました。
選手たちは、私たちが知らない側面を持っています。指導者が自分の先入観やバイアスに気付くことはとても重要です。役割を固定せず回してみるのも、思い込みに気付く良いきっかけになるかもしれません」
さらに、ビジャレアルではホワイトボードを使った一斉のミーティングをやめ、1対1の時間を多く設けるようにしたそうだ。すると黙っていても深い思考をしていたり、何かしら理由があって沈黙しているる選手がいることが分かった。沈黙しているからといって、考えていない訳ではない。主語を「指導者」ではなく「選手」にし、選手の考えていることを知ろうとすることが大切だ。
フィードバックを効果的に使う
問いかけに加えて、フィードバックにも工夫が必要だ。ビジャレアルでの指導改革でのメンタルコーチの指導によると、叱るべきことへのネガティブなフィードバックをする場合は、指摘しようとしていることが
①attitude(アティチュード:姿勢、態度、取り組み方)
②aptitude(アプティチュード:適性、才能、スキル)
③being(ビーイング:存在、ありよう)
のどれに当たるか分けて考える必要があると言われた。このうち、指導者がネガティブフィードバックをしていいのは①だけだ。②に対しては、今後の伸び代を考え、ポジティブなフィードバックを行うようにする。③に対して触れることは、選手に対するリスペクトを欠く行為になる。選手の尊厳を守るためにも、この区別をつけることがとても大切になる。
ポジティブなフィードバックはどうか。改革を進める中で、佐伯氏はその重要性を実感したという。
「どうしてもダメ出しの方が先に来て、グッドプレーを後回しにしていたんです。ポジティブフィードバックに手を抜いていたことがよく分かりました。ポジティブなフィードバックは、選手たちの自己承認欲求を高めて、自発的に次のアクションを起こすための原動力にさえなります。だからうまく取り入れていくことがとても大切です。
ただ、『ナイスプレー』『いいね』と言っているだけでは意味がありません。それでは、評論家や観戦者と何が違うのでしょうか。何を考えプレーしたかを引き出すこと。そしてそれに対し、いいねと言ってあげること。指導者が指導者であるためには、選手が行ったアクションに至るまでのプロセスを聞き、彼らの自己実現欲求、自己肯定感を充足させることが重要なのです」

サッカーからスポーツを、教育を変える
お互いの「リスペクト」が欠かせない
佐伯氏は2021年2月、ビジャレアルで実施された指導者改革や育成メソッドについてまとめた『教えないスキル ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術』を上梓した。Jリーグ理事という立場で、日本の育成年代スポーツ指導の現状をどう感じているのだろうか。
「先ほども話したように、日本は人間関係において上下関係を考え、空気を読む傾向にあります。すると、どうしても指導者と選手の間に上下関係ができてしまいます。今の日本には、部活が辛い、行きたくない、辞めたい、という子が多いとも聞きますね。
でも本来スポーツは、人と人とがつながることで楽しさやうれしさ、やる気や活気といったポジティブな空気感を生み出すものだと思うのです。それと真逆の事象が起きているのだとしたら、そもそもそれはスポーツとは呼べません。指導者と選手、双方向のコミュニケーションによって選手が自分で考え表現し、楽しいと感じられるものに変えていかなければなりません。
ただこの現状に対して、違和感を覚えていたり、変えないといけないと思う指導者も増えてきていると感じます。私たち指導者が変わっていくためには、選手や保護者に対するリスペクトが欠かせません。指導者へのリスペクトはもちろんですが、互いに踏み込むべきではない線引きを、共有できるとよいですね」
サッカーを通じて育まれる非認知能力
上から正解を教える指導よりも、相手へのリスペクトを持って問いを投げかけ、考える力を伸ばす指導へ。この方法は、特に日本のスポーツ指導で生きるはずと佐伯氏は期待を寄せる。
「スペイン人は決して身体が大きくはありません。体格で劣る部分を、思考の速さやその質で乗り越えていく。そのために、自分で考え判断し選択する力を磨いたサッカーをするのです。日本に、ビジャレアルのような指導法は合っていると感じます」
日本が世界で戦うためにも、ビジャレアルの「教えないスキル」は参考になるはずだ。さらに佐伯氏は、このスキルは教育指導にも生かせると語る。
2020年からスタートした日本の学習指導要綱ではまさに、「『知識及び技能』『思考力・判断力・表現力など』『学びに向かう力、人間性など』の3つの柱からなる『資質・能力』を総合的にバランスよく育んでいく」とある。現代の子どもたちは、教え込むだけで育むには難しいスキルの習得が求められている。先生たちの指導技術もそこに合わせる必要があり、自分が子ども時代に受けた指導法にとらわれない方法を試行錯誤していかなければならない。もしかすると、スポーツが持つ非認知能力を育む力が生かせるかもしれない、と佐伯氏は続ける。
「私は、子どもたちの状況把握や判断力を培うのに、サッカーは最高の競技ではないかと思うのです。サッカーは、1秒未満で状況把握、判断し、自分で責任を持って次のアクションに移していかなければならないスポーツ。再現性も低く、いつも何が起こるか分からない。選手がその場その場でベストと思える解を瞬時に出す力を鍛えることができるのです。
私は、サッカーから指導や教育を変え、子どもたちの成長に貢献していくことができると本気で思っています」
取材・文/粟村千愛(ドットライフ) 写真提供/J.LEAGUE