スポーツ選手、育成年代の子どもたちに必要な「良質な睡眠」とその取り方とは?〈前編〉

世界的にみても睡眠不足傾向がある日本人。それは、子どもたちにとっても例外ではない。特にスポーツをする子どもたちにとって、睡眠が発育やパフォーマンス、心の健康に及ぼす影響は大きい。指導者や親が持つべき正しい睡眠の知識について、米スタンフォード大学で睡眠研究を行う西野精治教授に聞いた。

インタビュイー

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西野 精治
株式会社ブレインスリープ 代表取締役

スタンフォード大学睡眠センターにて、睡眠生体リズム研究所の所長を務めながら、株式会社ブレインスリープの最高経営責任者(CEO)兼最高医療責任者(CMO)でもある。著書『スタンフォード式 最高の睡眠』はメディアでも大々的に取り上げられ、睡眠不足が指摘される多くの日本人からの反響を呼んだ。

正しく睡眠をとるだけで、スポーツ選手のパフォーマンスは上がる

睡眠とスポーツの関係性についてお伺いできますか。

スタンフォード大学はスポーツの強豪校なんです。リオ五輪(2016年開催)では、卒業生含め金メダルを14個も獲得しました。日本は12個なので、一つの大学だけでそれよりも多い。スポーツへの支援も盛んです。

昔、スタンフォード睡眠センターが大学のフットボールチームのサポートをしていたことがあります。テキサスで大きなボウルゲームがあったのですが、2時間ぐらいの時差があるので、時差対策など睡眠を含めたサポートを行った結果、チームが優勝したという実績があります。

スポーツと睡眠に関する研究で有名なのはCheri Mahという学生が行った、バスケットボール部の学生たちに毎日10時間寝る指示を出してパフォーマンスへの影響を調べた研究ですね。

研究内容は、10時間の睡眠を続けながら毎日シュートやダッシュ、反応速度のスコアをとり続けたところ、少しずつ向上が見られて40日近くかけて大きく伸びたそうです。282フィートダッシュ(約86m)では16.2秒から15.5秒。フリースローも10本中7.9本から8.8本に成功率が伸びたという研究結果があります。

睡眠不足の選手が十分な睡眠を取った結果、運動能力が向上したというこの研究が2007年頃に大きく話題になりました。そこからスポーツ医学において睡眠の重要性が認識されるようになりましたね。

2017年の著書『スタンフォード式 最高の睡眠』はベストセラーとなり、その年の流行語大賞トップテンには「睡眠負債」が選ばれました。1990年代、スポーツ選手ではない一般人に対する研究でしたが、健康な8名を無理やり毎日14時間ベッドに横になってもらい続けるという研究がありました。普段の彼らの平均睡眠時間は7.5時間だったんですが、1日目と2日目は、13時間眠りました。

その後、段々短くなって、平均10時間の睡眠になっていきました。さらに続けると3週間後に睡眠時間は8.2時間になり、そこで安定したんです。つまり、8.2時間が彼らの身体に必要な睡眠で、1日40分ほど足りなかった睡眠が借金のように積み重なってしまっていた。

それが「睡眠負債」ですね。

寝たいだけ寝る生活を3週間続けたことで、やっと負債を返済できたということになります。そこから「睡眠負債」という概念が生まれました。もう一つの重要なポイントは、3週間経った時点で8.2時間に固定されたことです。好きなだけ寝られる環境でも、それ以上は寝られない。つまり、睡眠負債は存在するのですが「睡眠貯金」はできないことが分かりました。

「寝だめ」とはよく言いますが、睡眠をためることはできないので慢性の睡眠不足になっている状態だと言えます。週末、普段より90分以上長く寝る人は慢性的睡眠不足、すなわち「睡眠負債」の危険信号ですね。広義での睡眠研究はずいぶん進みましたが、スポーツの分野においては、まだまだこれからです。

スポーツ医学は元々整形外科から始まった学問です。そのため、怪我の治療、リハビリテーションが中心で睡眠への関心は低かった。その後、睡眠がパフォーマンスを向上させたり、怪我をする確率にも影響するという報告が出てから、睡眠への注目は徐々に高まりつつあります。リハビリにおいて、十分な睡眠を取れば回復が早くなる可能性も高いことが分かっています。

アスリートが睡眠の質を高めるためのポイントは、「ポジティブルーティン」

何名かのサッカー選手に、睡眠に対する疑問や悩みを聞いたところ、一番多かった悩みが「試合後に眠れない」というものでした。

米スタンフォード大学西野精治教授

アスリートは入眠までに時間がかかり、睡眠の質が良くないことが多いようですね。その理由としては、「ストレス」や「緊張」が挙げられます。

試合前の緊張や興奮、不安などのセルフマネジメントがうまくできれば、試合前の睡眠の質を高めることができ、さらに良い結果も出せる可能性は高いのですが、試合後の睡眠は非常にコントロールが難しいのです。鍵となるのは生活習慣。睡眠と覚醒は表裏一体のものなので、朝起きたときから気を遣う必要があります。

質の高い睡眠をとるためには、夕方頃に身体や頭のスイッチをオフにして、リラックスして寝る準備に入っていくのが重要です。スポーツ選手や指導される方にとっても、体温変化と睡眠の関係性といった基礎的な睡眠に関する仕組み、知識を得ることも必要でしょう。間違った情報も溢れていますので、正しい知識を身に付けなくてはなりません。

基礎的な睡眠の仕組みとして代表的なのが、レム睡眠ノンレム睡眠のサイクルでしょう。まず、入眠時はノンレム睡眠に入ります。ノンレム睡眠が90分続いて、その後に短いレム睡眠が来る。翌朝までにそのサイクルを4〜5回繰り返しています。

そのサイクルを意識することも大切ですし、睡眠が持つ役割というのも同様に大切です。以前、睡眠は疲れと眠気を取るだけだから眠れなくても横になっていればいい、と言われることがありました。でもそれでは不十分で、眠ることによって起こる自律神経やホルモンの変化を介した身体の新陳代謝や修復が十分でないなどの悪影響が出てくる可能性があります。

アスリートの睡眠負債は、技術の習得プロセスに関わってきます。普通は入眠時に体温が下がり血圧も下がるのですが、慢性的な睡眠負債があると就寝中も交感神経活動が高く、血圧が高いまま眠りに入ってしまう。そうなると休息が十分に取れず、翌日のパフォーマンスに影響を及ぼします。新しい技術の習得においてもマイナスに働きかねません。さらには、自律神経、免疫にも関与してくるので、感染症やがんなど疾病リスクが上がることも分かっています。

また、脳というのは使えば使うだけ老廃物を出すのですが、その効率にも睡眠が重要な関わりがあることが判明しています。このように、睡眠には起きているときにはできない、さまざまな役割があるので、妨げられるとやはり支障が出てしまうのです。しっかりと睡眠が取れていれば自然に起きられるし目覚めもいい。身体のメンテナンスにもなります。

生活習慣が鍵となると言いましたが、個々人で身体の調子がいい習慣を覚えて、それを続けていくのがいいですね。「ポジティブルーティン」と呼んでいるのですが、「何をしたときに良い睡眠が取れたか」ということを、睡眠の仕組みや役割といった知識を踏まえて考え、記録を取り続けていくことで、良いパフォーマンスにつながると思います。トップレベルではわずかな差が結果に大きく影響し、その後の人生までもが変えてしまいますから、そのような取り組み方をおすすめします。

アスリートのみならず、現代社会において「昼寝」はとても重要になってきている

ジュニア、育成年代の睡眠に関してはいかがでしょうか?

学生スポーツ選手の睡眠研究データが豊富でないため一概に言えませんが、少なくとも現代の子どもたちは睡眠時間が不足気味なのは間違いないと思います。

例えば、1960〜1970年頃の調査によると、7割以上が22時前には就寝していたのに、現在は2割まで減っています。大人も子どもも1時間ほど睡眠時間が短くなっています。子どもは大人の睡眠習慣に引きずられて遅くなっているのでしょう。

そのため最近は昼寝の効能について議論されることも増えてきました。かつて小学生ぐらいの子どもたちには昼寝は要らないと言われていましたが、現代のように睡眠が足りない状況では昼寝の効果は大きいのです。昼寝によって疾患リスクが下がるという調査結果も出てきています。

昼寝するなら、個別に調整は必要ですが、おおよそ1時間未満が良いと思います。疾患リスクに関しては30分未満ですが、少し寝て、眠りが浅くなったら起きる、というのがいいのではないでしょうか。

〈後編〉へつづく

 

取材・文/今井 慧 撮影/小野瀬健二